バラはバラであって

歌流歳歳を開いたら、俵万智さんの歌が紹介されていた。 四百円にて吾のものとなりたるを知らん顔して咲くバラの花 (俵万智) その記事のタイトルが「ばらばらのばら」である。 こういう音の繰り返しを読むと、俵万智さんと時折比較される紀野恵さんの歌を思い出してしまう。(音で覚えているので…

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たこ作り

今日もまた、体調が優れない。微熱が続いている。ほとんど一日寝てばかりいたが、起きていたわずかの時間に、娘と凧に絵を描いた。今年は酉年だから鶏の絵だ。来週末は、凧揚げ大会。 気がついたら、人気Blogランキングで3位になっていた(詩・小説の部)。うれしくて、一斉お知らせメールを出し…

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かそけくそよげる風を追い

かそけく そよげる 風を追い 野原をずっと 走って行った 夜半の海へと 舟漕ぎだした 妖精達の 祭の手拍子 松明かかげ たたけよ太鼓 眠い目には銀の砂 砂のかけらに 煌めく湾は ひみつの入江を隠し持つ ゆめにいざなうその風は ただひそやかに呼吸する ひとときのみの安息や 夜が明け…

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あれから10年〜阪神大震災〜

十年の月日は過ぎて小春日の真青の空に上り行く雲 10年前の1月17日、私は信州の蓼科にいた。小さなぼろ家をもっており、そこに行っていたのだ。テレビもラジオもないそこは、日常の情報過多から逃れるのに格好の場所だ。 とはいえ、食料は必要だ。17日の午前中は、ちょうど茅野まで買出しに出…

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死を意識するということ 〜戦後60年、阪神淡路大震災10年、中越大地震、インド洋大津波に想う〜

戦後60年がたち、戦争を知らない人々が人口の大部分を占めるようになった。平和な日本では、普通に暮らしている限り、死を意識するということは、特に若年層では少なくなっていることであろう。 幸か不幸か、私は今までに死を意識したことが何度かある。最初は高2のとき、ケニヤでクーデター未遂が…

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