バラはバラであって

歌流歳歳を開いたら、俵万智さんの歌が紹介されていた。

四百円にて吾のものとなりたるを知らん顔して咲くバラの花 (俵万智

その記事のタイトルが「ばらばらのばら」である。

こういう音の繰り返しを読むと、俵万智さんと時折比較される紀野恵さんの歌を思い出してしまう。(音で覚えているので、字は違うかもしれない)。

いろいろにいろはにほへとちりぬるを
 バラはバラであってあくまでもバラ (紀野恵

この歌を最初に父から聞いたとき、物凄い衝撃を受けた。前半のなめらかな大和言葉の世界から、下の句の破裂音の連続への移り変わりのコントラスト。天才だと思った。その後、父のところに送られてくる「未来」で、時々彼女の歌を読むようになった。もう、20年も前の話だ。古今的というか、新古今的というか、俵万智さんとは対照的な歌い口が好きだった。今の私の下手の横好きな歌もその影響を受けているかもしれない。短歌の楽しみ方として、一首一首読むのではなく、複数の作品の流れの中で楽しむというのを習ったのもこのころだ。

古今集といえば、今年は古今集開始の年から数えて千百年である。感慨深い。


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「バラはバラであって」への0件のフィードバック

  1. エッセンスと力量
    時改めて自分の歌を眺めると、他人の眼になっている自分に気が付く。

    わたしは歌を保存するために、一行BBSを使っている。投稿数と検索機能があるので、これは非常に便利。それと、同じ投稿ができないようにセットしてあるので、間違えて同じ歌を二重投稿するといっ…

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