十年の月日は過ぎて小春日の真青の空に上り行く雲
10年前の1月17日、私は信州の蓼科にいた。小さなぼろ家をもっており、そこに行っていたのだ。テレビもラジオもないそこは、日常の情報過多から逃れるのに格好の場所だ。
とはいえ、食料は必要だ。17日の午前中は、ちょうど茅野まで買出しに出たところだった。店に入るとテレビに炎が写っていた。最初は何のことやらわからなかった。その前でしばらくじっと見入っていて、ようやく大地震が神戸を襲ったのだとわかった。
あれから10年がたった。当時はそれなりに気をつけて、枕元にスニーカーを置いて寝たりしていたが、いつのまにやらしなくなってしまった。折りしも首都圏大地震がおきるのは2005年±5年だそうである。
阪神大震災の犠牲者の方々の冥福を祈るとともに、彼らの犠牲を無駄にしないよう、気を引き締めてゆかなければならないと思う。
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昨日はマンションで防災訓練と賀詞交換会がありました。
毎年この時期に行われるのですが
今年は例年になく参加者が多く
やはり新潟県中越地震や昨年一年世界中で起こった天災が
防災意識を高めているのかもしれないと話していたところです。
阪神大震災から10年
当時生まれた子どもは小学校高学年になり
当時その年齢だった子どもは成人する歳月。
復興していく神戸の街の様子を見るにつけ
そこで生活する人々のしなやかさを頼もしく心強く思う一方で、
想像しがたいさまざまな苦労が多々あったことに思いを馳せると
何とも言葉がありません。
そして、昨年の新潟県中越地震で何を置いても駆けつけた中に
阪神大震災の被災者の方々が多く居られたことを再度思い出しました。
Natさんが書かれておられるように
首都圏大地震がおきるのは2005年±5年だそうですし
つい先日電車の中で見た週刊誌の中吊りには
津波が来た場合に一番脆いのは関東周辺地域だという記事の見出しがありました。
危機・危険にたいする意識はまだまだ甘いのでしょう。
避難経路や身内との連絡をどうするか、避難用のバッグの中身は整っているか、
緊急時の対応策をもう一度私も見直したいと思います。