ピアソラ:タンゴの歴史(Histoire du Tango)

フルートのオリジナル曲というのは、ヴァイオリンやピアノなどに比べて多くないのですが、意外なところに名曲が隠れています。

アストル・ピアソラ(1921 – 92)という作曲家をご存知でしょうか?そう、タンゴを数多く書いた20世紀の作曲家です。フォンテンブロー・コンセルバトワールでナディア・ブーランジェに師事した彼は、タンゴをコンサートホールで演奏される形式まで高めようと多くの努力を行いました。

ピアソラが政府の奨学金を得て、2人のこども1を両親のもとに残してパリのブーランジェのもとにむかったのは、1954年、33歳のときでした。その時までに彼はバンドネオン・タンゴに辟易していて、クラシックこそに我が道があると、ブーランジェにはクラシック音楽にインスパイアされた曲を披露したようです。しかし、ブーランジェがようやく首を縦に振ったのは、ピアソラが『Triunfal(勝利)』を演奏したときでした。彼の才能はタンゴにこそあると彼女は指摘したのです。そして、これがクラシック音楽とタンゴの歴史的邂逅になったのでした。

ブーランジェのもとで、ピアソラは対位法を始めとするクラシックの技法を学びました。そして、パリオペラ座のオーケストラとの共演で、立ったまま片足を椅子の上に乗せてバンドネオンを弾くスタイルを確立しました2。またこの頃彼はジャズのオクテット(八重奏)に出会い、ブエノスアイレスに戻ってから彼自身のオクテットを編成するきっかけになりました。このオクテットは、タンゴ界における室内楽の創始となりました。

しかし、このような新しい動きは、アルゼンチンの保守層からは評価されませんでした。その後彼はニューヨーク転出を皮切りに世界各地とブエノスアイレスを行ったり来たりする生活が始まります。オペラ『ブエノスアイレスのマリア』を含む多くの曲を世に送り出した彼ですが、1973年に心臓発作に襲われます。その年彼はローマに移住し、そこで、Aldo Paganiより15年契約で、彼が書いた曲、これから書く曲の全曲録音をすることになります。その中で、『リベルタンゴ』などの名曲が産まれることになりました。

彼が十分な収入を得て、人生の中で初めて自分の好きな曲をかけるようになったのは1980年、59歳になってからでした。この年、彼は野心的な多楽章曲を書き始めます。その中の1曲が『タンゴの歴史』です。『タンゴの歴史』は、フルートとギターのための4楽章からなる曲で、楽章ごとに30年の間隔をおいて、タンゴがどのように変遷してきたかを表しています。ピアソラ自身がプログラム・ノートを提供しています。

第1楽章:1900年:売春宿 (Bordello, 1900)

このタンゴの原曲は1882年にブエノスアイレスで生まれました。原曲は、この「タンゴの歴史」全体がそうであるように、フルートとギターのためのものだったようです。音楽は優美さと活気に溢れ、フランス、イタリア、スペイン出身の売春婦たち45が、彼女たちに会いに来る警官、泥棒、水夫、ろくでなしたちを誘惑しからかう様子を描いています。意気軒昂なタンゴです。初演のフルーティスト、M.グローウェルスによれば、冒頭のフレーズの4つ目の音(高音e)は売春宿の摘発の警官の呼笛の音だそうです。

 

第2楽章:1930年:カフェ(Café, 1930)

1930年には、人々は1900年のようにタンゴを踊るのをやめて、タンゴは踊る音楽から聴く音楽に変質していました。その結果、タンゴはより音楽的でよりロマンチックな音楽になっていました。これは完膚無きまでの変容でした。動きはゆっくりとして、新奇でメランコリックなハーモニーに溢れています。当時のタンゴオーケストラは、ヴァイオリン2台、コンサ2台、ピアノ、およびバスで編成され、時として歌手も加わることが有りました。6

 

第3楽章:1960年:ナイトクラブ(Nightclub, 1960)

1960年代、国際的な人の交流は大変な勢いで増加していきました。タンゴもブラジルとアルゼンチンがブエノスアイレスで邂逅することによって、ボサノバと新タンゴが同じリズムを刻むようになり、大幅な変革の時を迎えます。新しいタンゴを聴きに、聴衆はナイトクラブに殺到しました。この時期は、タンゴの革命の時期であったともいえます。こうして、もともとのタンゴから現代タンゴは大きく変わっていったのです。7

第4楽章:1990年:現代のコンサートホール(Concert d’aujourd’hui)

ここに至り、タンゴ音楽のコンセプトは、バルトーク、ストラビンスキー、その他の現代音楽と混じり合います。無調と調性が入り混じります。第1楽章のモチーフが使われています。「これは現在、そして将来のタンゴなのです」(アストル・ピアソラ)89

 

その他の編成

最後にちょっと変わり種の演奏を。フルートとマリンバ版です。なかなか良い。

ギターをマリンバで置き換えっていうのは曲によってはわりと上手くいくものですね。

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脚注

  1. ディアナ(11)、ダニエル(10)
  2. それまでは、バンドネオン奏者はみな座って演奏していました。
  3. 1900年代のアルゼンチンは世界有数の経済大国で、極めて裕福でした31913年には、一人あたり国民所得が世界10位。当時の日本はUS$1387に対して、アルゼンチンはUS$5900超(当時のアルゼンチンの一人あたりGDPが米国の3/4というデータから逆算)。2015年の日本は26位。。なので、各国から人が流れてきたのです。
  4. https://en.wikipedia.org/wiki/Economic_history_of_Argentina#/media/File:GDP_per_capita_of_Argentina,_percent_of_US_(1900-2008).png
  5. (出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Histoire_du_Tango
  6. (出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Histoire_du_Tango
  7. Piazzolla, Astor. Liner notes to Song & Dances of the Americas with Bonita Boyd (flute) and Nicholas Goluses (guitar), recorded at Red Creek Studio, Rochester, Spring and Summer 2009, compact disc.
  8. (出典)https://en.wikipedia.org/wiki/Histoire_du_Tango

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