HAPPYコンサート~みんなの音楽会~

機会をいただき、小金井市東センターで「HAPPYコンサート〜めんなの音楽家〜」と題するコンサート1

で、演奏をさせていただいてきました。とてもあたたかい聴衆のみなさん、スタッフのみなさんで、楽しくコンサートを終わらせることができました。

配布したプログラム・ノートの一部を下記に転記しておきます。


プログラム

第一部 西洋における三拍子音楽

  1. フォーレ: シシリエンヌ op.78
  2. 伝J.S.バッハ:シチリアーナ BWV 1031
  3. ビゼー:メヌエット(「アルルの女」第2組曲より)
  4. サティ:ジュ・トゥ・ヴ(お前が欲しい)

第二部 楽器であそぼう

  1. 瓶を吹いてみよう
  2. フルートを持ってみよう、吹いてみよう

第三部 日本の曲

  1. 宮城道雄:春の海
  2. 荒井由実:卒業写真
  3. 中村八大:上を向いて歩こう
  4. 菅野よう子:花は咲く

楽曲解説

第一部 西洋における三拍子音楽

シチリアーナ(シシリエンヌ)

シチリアーナ(イタリア語。フランス語ではシシリエンヌ)は、ゆるやかな6/8拍子か12/8拍子の舞曲で、たのめらいがちにたゆとう曲想と付点リズムが特徴的です。パストラール(牧歌)というより広い形式の一形式になります。名前は「シチリア風(舞曲)」ですが、シチリア島に起源を発するという証拠は見つかっていません。1500年頃が初出です。

18世紀まで盛んに書かれた曲で、有名な例には伝バッハのシチリアーナやモーツアルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章などがあります。

ところがも19世紀にナなってから有名な曲は生まれなくなってしまい、ようやく19世紀も終わろうというころに、このフォーレのいシがチリエンヌが生まれたのでした。

フォーレ: シシリエンヌ op.78

Gabriel Fauréは1845年5月12日に生まれ、1924年に亡くなったフランス作曲家で、青年期はベルリオーズやブラームスの成熟期にすごし、晩年は調性が崩壊し、シェーンベルクなどがいわゆる無調音楽を書き始めていた頃に生きていた人です。フォーレのスタイルは、1880年台中頃までの初期、1880年台後半から1900年台までの、あの有名な「レクイエム」を書いた中期、それ以降の、感音性難聴の悩まされた後期にわけられます。この曲はに1893年の作曲ですので中期の作品になります。

この曲は、1893年に未完に終わった『町人貴族』のために書かれた曲で、チェロとピアノのデュオ用に作品78として既に出版していたものを、劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」の中の第5曲、第2幕、ペレアスとメリザンドが泉のほとりで戯れる場面の前奏曲として編曲しなおしたものです。ト短調、6/8拍子のA-B-A-C-A-Codaの小ロンド形式で、有名なA部ではハープの分散和音に乗ってフルート独奏が付点リズムの特徴ある旋律を奏でます。 (約4分)

J.S.バッハ:シチリアーナ BWV 1031

J.S.バッハはバロック音楽の完成者で、日本ではよく音楽の父とか、ドイツの3大Bとかと言われます。この曲は、フルートソナタ第2番変ホ長調 BWV 1031 (1734)の第2楽章で、ト短調のシチリアーナになっています。

C.P.E.バッハがこの楽譜にJ.S.Bach作と記していたためにJ.S.バッハ作ということになっていますが、様式的には後の時代のギャラント様式の特徴を持っているために、その真正性に疑義が出ている曲です。ギャラント様式とは、比較的単純な伴奏の上に旋律を乗せて歌わせる様式で、フランスロココ趣味を取り入れたフリードリヒ大王の宮廷で流行った様式です。その担い手は、とフルート奏者として名高いヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(1697 – 1773) や、この曲の原稿を保持していたC.P.E.バッハ(1714 – 1788)でした。そうしたことから、一時期はC.P.E.バッハ作品説も出たのですが、そうであれば、彼自身の作品カタログに彼が入れたであろうこと、又、同時期の彼の作品とも特徴が異なっていて否定され、現在では父バッハが新しい様式の作曲をC.P.E.バッハを含む弟子たちに教えるに当たって、クヴァンツのトリオ・ソナタ(QV 2:18)2 を例にをとって、デュオ・ソナタを書いて見せたか、あるいはC.P.E.バッハ以外の弟子に課題として与えて書かせたものであろうといわれています。なお、同様の経緯をとったと思われる曲に、クヴァンツのトリオ・ソナタ(QV 2:35)3 4を手本にとったと思しきBWV 1020のト短調のソナタ(1734)があります。こちらは若き日のC.P.E.バッハの作曲の特徴が顕著に現れていますが、C.P.E.バッハ自身は自作とはしておらず、死後に彼の妻が手紙に書いている「父との共作」がこれであろうと考えられています5

ソナタ全体としてはやや散漫な印象のあるBWV1031ですが、このシチリアーナは「バッハの書いたもっとも美しい旋律」ともいわれるほど有名な名曲で、ピアノ編曲などでもしばしば演奏されます。(約2分)

メヌエット

メヌエットは、18世紀前半の上流階級で、もっとも人気のあった舞踏会音楽です。衆人環視の舞踏会会場の中で、部屋の後ろから前に向かって歩きながら踊る男女の出会いのダンスですが、そこは宮廷らしく、触れるのは手くらいです。リズムは、

というリズムで、最初の2分音符で伸び上がって、3拍目で着地、その後2回小さなステップを踏んで前に出ていき、3拍目で足を揃えて少し膝を曲げます

名前の「メヌ」は「小さな」という意味で、この小さなステップを指しています。多分いちばん有名なメヌエットは、以前はバッハ作と言われていたペツォールトのメヌエットでしょう。

なお、メヌエットは、器楽曲の分野では後にスケルツォに発展していきます。

ビゼー:メヌエット(「アルルの女」第2組曲より)

「アルルの女」第2組曲は、ビゼーの死後の1879年に、彼の友人エルネスト・ギローの手により完成された組曲です。ギローは管弦楽法に長けており、「アルルの女」以外の楽曲も加えて編曲しました。

その中第3曲の「メヌエット」は「アルルの女」といえばこの曲というほど有名な曲ですが、実は、ビゼーの歌劇『美しきパースの娘』の曲をギローが転用、編曲したものです。フルートとハープによる美しい旋律が展開されます。

2/3拍子 変ホ長調 A-A’-B-B’-C-A-B-A’ の変形ロンド形式とるをメヌエットです。(約4分)

ワルツ

さて、貴族が典雅に農民はメヌエットを踊っていたころ、農民はより密着度が高く、動きの大きなダンス「レントラー」を踊っていました。典雅なメヌエットでは飽き足らなくなったご主人様は、使用人のダンスパーティーに乱入して、このレ密着度の高い、激しいダンスを楽しむようになっていきます。そして、このレントラーが都市住民のもとでよりスムースに変容したのがワルツです。

ところで、ワルツはブンチャッチャッ、ブンチャッチャッって習いませんでしたか?わたしは日本の小学校でそう習いました。ところが、西洋の演奏家の演奏を聞くと、どちらかというと「ンッチャーッチャ」と二泊目が長い。なぜそうなるのかというのは、ワルツのステップを見るとよくわかります。2歩目が長いのです。ですから、「ブンチャッチャ」では踊れません。舞曲のリズムを理解するには、ステップを理解するのが重要ということをご理解いただけると思います。

サティ:ジュ・トゥ・ヴ(お前が欲しい)

『ジュ・トゥ・ヴー』(仏:Je te veux)は、エリック・サティが1900年に作曲したシャンソンで元々は歌曲集『ワルツと喫茶店の音楽』のうちの1曲ですが、現在ではサティ自身によるピアノ独奏版でよく知られています。形式はワルツです。(約2分)

第二部 楽器であそぼう

瓶を吹いてみよう

子どものときに、瓶を吹いて遊んだことは無いでしょうか?実は、フルートの音を出す原理と瓶を吹く原理は一緒です。今日は、いろんな瓶を持ってきてみました。皆さん、一緒に吹いてみましょう。

フルートを持ってみよう、吹いてみよう

瓶で音が出るようになりましたか?もし音が出るようならば、今度はフルートを吹いてみましょう。きっと音が出ますよ!

第三部 日本の曲

宮城道雄:春の海

1930年の歌会始の勅題「海辺の巖」にちなみ1929年末に作曲された、新日本音楽を代表する楽曲です。

西洋音楽の影響を強く受けており、伝統的な近世邦楽ではありませんが、よく日本の雰囲気を残しており、それゆえ現代でもしばしば演奏される曲になっています。

曲調は、は作者が8歳で失明する前に祖父母に育てられて住んでいた瀬戸内の景勝地、福山市の鞆の浦の美しい風景が目に焼きついたのをイメージして描いたものとのことです。

全体で7分位の曲ですが、今日は、そこから一番有名な部分をご紹介します。(約2分)

荒井由実:卒業写真

1975年にコーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」の曲として発売されたヒット曲。街で見かけた昔の恋人6が、卒業写真の面影から全く変わっていなかった一方、人混みに流されて(多分あまりて良からぬ方へ)変わって行っている自分を対比している曲。4/4拍子で、2目、4拍目にアクセント付きの特徴的な符点音符の音型が現れ、郷愁を誘います。(約4分)

 

中村八大:上を向いて歩こう

1961年に中村八大が作曲、坂本九によって歌われた楽曲。作詞は昨年7月7日に亡くなられた永六輔氏。

1963年6月15日から3週連続でビルボード誌HOT 100の週間1位を飾った世界的大ヒット曲。1位を取ったのは、日本人のみならずアジア圏歌手で、今に至るまで唯一です。全世界で1300万枚以上を売り上げました。

坂本九氏の歌い方は、当時の歌謡界ではかなり独特だったようです。永六輔氏によると、歌い出しの「上を向いて」が「ウヘホムフイテ」に聞こえる歌い方は、母親から手ほどきを受けていた小唄や清元の影響ではないかとのことです。(約3分)

菅野よう子:花は咲く

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被災地および被災者の物心両面の復興を応援するために制作されたチャリティーソングで、日本放送協会(NHK)が震災後の2011年度から行っている震災支援プロジェクト「NHK東日本大震災プロジェクト」のテーマソングとして使用されています。宮城県仙台市出身の岩井俊二が作詞、同市出身の菅野よう子が作曲。(約5分半)

(文:崎村夏彦)

演奏者プロフィール

崎村潤子

国立音楽大学打楽器科卒業。マリンバを鈴木明子、草刈とも子、上野信一、岡田知之の各氏に師事。ツィンバロムを加納靖子氏に師事。 卒業後、1990年のリサイタルを皮切りに、ストラヴィンスキーの『きつね(日本語版)』、クルタークの『シュテファンの墓碑』『コンチェルタンテ』、コステロの『IL SONGO』の日本初演など、精力的に活動。海外においては、スロバキアで開催された第3回世界ツィンバロム・コングレス(1995)に日本代表として参加、スロバキアテレビに出演、プラウダ紙等に取り上げられた他、ドイツ、スイス、カナダ、中国などで演奏を行い、好評を博している。

また、オーケストラとの共演は、小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラコンサート『デュティユー/瞬間の神秘』が、NHKで全国放映された他、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、名古屋フィルハーモニーほか主要な管弦楽団と共演してきている。 クラシック以外の活動では、2008年から2009年にかけて、第一生命の社会貢献活動テレビCMでBGMを担当しているほか、シンガーソングライターの湯川潮音のアルバムにも参加している。

Home Page:  https://www.cimbalom.net/

崎村夏彦

ケニヤ育ち。フルートは、ナイロビ・コンセルバトワールで学んだ。1983年ケニヤ音楽コンクール、管楽器部門優勝。

Home Page: https://www.sakimura.org/category/music/

 

脚注

  1. 【対象】市内在住・在勤・在学の方

    【定員】40人(申込順)

    【時間】午前10時30分から11時30分まで

    【日程】1月13日(金)

  2. J.J. クヴァンツ『バイオリン・フルートと通奏低音のためのトリオ 変ホ長調 QV 2:18 』手書譜<http://hz.imslp.info/files/imglnks/usimg/8/8d/IMSLP54821-PMLP113376-307126188.pdf> 音源<http://ml.naxos.jp/work/149860>
  3. J.J.クヴァンツ『トリオ・ソナタ ト短調 QV 2:35』(1734) 手書譜<http://javanese.imslp.info/files/imglnks/usimg/2/25/IMSLP32925-PMLP75010-30666478X.pdf> 音源 <http://ml.naxos.jp/work/1127518>

  4. なお、QV 2:35 はJ.S.バッハのフルートソナタ第1番 ロ短調 BWV1030 (1736) とのテーマ上の類似性も指摘できる。
  5. 久保田慶一『C.P.E.バッハ研究』(2000) 音楽之友社 P.188
  6. 高校時代の同性の先生という解釈もあるようです。

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