C.P.E. Bach

クラシック音楽の父、C.P.E. バッハ〜生誕300年

C.P.E. Bachあーまた扇情的なタイトルを付けてしまった。

でも、今年生誕300年のC.P.E. Bach (カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ)、あの大バッハ(J.S.Bach)の次男ですね、彼を狭義のクラシック音楽=古典派音楽の父というのは、あながち間違ってないと思うのですよ。あのモーツァルトさえ、「彼は父であり、われわれは子供だ」12

と言っているくらいですし。

ちょっと古典派音楽をそれ以前の音楽からわける特徴を書き出してみましょう。

  1. メロディー+和声の形(モノフォニー)
  2. 複数の性格の異なる主題
  3. バロックに比べて短い主題とその動機(motif)分解、およびその運用・展開
  4. → ソナタ形式

これらは、ロマン派以降にも引き継がれる、いわば古典派以降の「クラシック音楽」の根幹をなすものです。

一方、C.P.E. Bachの音楽の特徴は以下のようにいわれます。

  1. ギャラント様式(メロディ+和声)
  2. 多感様式3(複数の性格の異なる主題)
  3. 短い主題と動機分解、およびその運用・展開(動機分解とその運用をしたのは彼が最初といわれています4
  4. 3楽章形式のソナタと、イントロ+(第一主題[主調]+ブリッジ+第二主題[属調/平行調])x2 + 展開 + 再現部の楽章=ソナタ形式

あれ、これ、古典派音楽の特徴そのものじゃん。どうりでモーツァルトが彼のことを「父」と言うわけですね。

実際、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンへの影響は顕著で、ベートーヴェンも尊敬していた5ようです。また、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリア」は、C.P.E. Bachの「荒野のイスラエル人」の影響が見て取れますし、ブラームスは彼の作品の校閲6をしたりもしているようです。

バッハファミリーでいうと、弟のJ.C.Bachとモーツァルトの親交が深く、

  • J.C. Bach → モーツァルト
  • C.P.E. Bach → ベートーヴェン

の影響が強いといわれることもあります。まぁ、そうかな、と思うことも無いのですが、晩年のモーツアルトに関しては、結構C.P.E. Bachの影響も強いような気もしています。晩年のモーツアルトは、それまでの「楽しい単純なホモフォニー音楽」とは打って変わって、非常に凝った作りのポリフォニー音楽、ある意味難しい音楽になっていって7人気失墜、妻の病気も有り借金苦に苦しんだという都市伝説8を生むわけですが、そのきっかけとなったのが、スヴィーテン男爵に見せられたバッハの音楽と楽譜だといわれています9

このスヴィーテン男爵はある意味変わり者で、当時全く顧みられていいなかったJ.S. Bach を自宅の演奏会で演奏していたんですね。そのネタは、彼が赴任していたベルリンで集めた楽譜でした。どうして、忘れられた作曲家J.S. Bachの楽譜を集めたって?おそらくC.P.E. Bachの影響ですね。男爵のベルリン赴任時、C.P.E. Bachもベルリンの宮廷におり、フリードリヒ大王の伴奏者および作曲家として活動していました。同時に、J.S. Bachの最大のプロモーターでもありました。当時 C.P.E. Bach は、作曲家としてはJ.S.Bachより遥かに高い名声を勝ち得ていたのですが、彼こそが J.S. Bachの偉大さを最も理解していたのでありました。そういうわけで、男爵はJ.S. Bachの楽譜を買い集めてウィーンに戻ったわけです。もちろん、持ち帰ったのはJ.S. Bachの作品だけではありません。当時、J.S. Bachよりも高く評価されていたC.P.E. Bachの作品もで、弦楽のためのシンフォニー6曲セット10に至っては委嘱して持ち帰っています。

では、聞いてみましょうか。

C.P.E. バッハ :シンフォニア ト長調 Wq. 182/1, H. 657 – I. Allegro di molto (1773年作曲)

ここでは、C.P.E.バッハ室内管弦楽団の生誕300年記念CD を紹介しておきます。

C.P.E.バッハ 交響曲 ト長調 Wq. 182 (1773) 第1楽章

あれ?まんまモーツアルトじゃん…。

ハイドン・セットの作曲時までにモーツアルトがC.P.E. Bachの作品に触れていたのは、次の手紙からわかります。

手紙 (1)「ところで、お願いしようと思っていたのですが、ロンドーを返してくださる時、ヘンデルの6つのフーガと、エーベルリーン(Johann Ernst Eberlin 1702-1762)のトッカータとフーガも一緒に送ってください。——ぼくは、毎日曜日、12時にヴァン・スヴィーデン男爵のところに行きます。——そこでは、ヘンデルとバッハ以外は何も演奏されません。——ぼくはいま、バッハのフーガを集めています。セバスチャンの作品だけでなく、エマニュエルやフリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach 1710-1784)のも含めてです。——それからヘンデルのも。そして、・・だけが欠けています。——男爵にはエーベルリーンの作品を聴かせてあげたいのです。——イギリスのバッハが亡くなったことはもう御存知ですね?——音楽界にとってなんという損失でしょう!」(モーツァルトの手紙、1782年4月10日付、レオポルド宛)

(出所)原 佳之:「フーガがモーツァルトの後期クラヴィーアソナタに与えた影響」 11

そして、C.P.E. Bachをモーツアルトがこの時期研究していたのは次の手紙からわかります。

手紙 (2)「エマニュエル・バッハのフーガ(6曲あると思います)を写譜して、いつか送ってもらえると、とてもありがたいのですが。——ザルツブルグでこれをお願いするのを忘れてしまったのです。」(モーツァルトの手紙、1783年12月24日付、レオポルド宛)

(出所)原 佳之:「フーガがモーツァルトの後期クラヴィーアソナタに与えた影響」12

どうりでC.P.E. Bachを聞くと、後期のモーツアルトみたいに聞こえるわけですね。というわけで、上では「スヴィーテン男爵に見せられたバッハの音楽と楽譜だといわれています」と書いたのですが、実はここでいうバッハはJ.S.Bachも含みますが、C.P.E. Bachのことでもあったのです13。というか、多分 C.P.E. Bachの影響のほうが強い気がしますね。そうでなければ、冒頭の「彼は父であり、われわれは子供だ」という発言は出ないでしょう。

C.P.E.バッハが忘れられてしまった原因はシューマン?

さて、こんなにも重要な作曲家であるC.P.E. バッハがなぜ19世紀になると忘れ去られてしまったのでしょうか?一つの原因はロベルト・シューマンにあるように思われます。彼の下した評価「創造的な音楽家として父親とは余りにも格が違いすぎる」が響いているように思われます。ご存知のように、当時のシューマンはかなり影響力のある評論家でしたから、彼にこういう評価をされてしまうと正直辛い。結局、ブラームスとかメンデルスゾーンとか、「ごく一部のわかっている人はわかる」作曲家になってしまった…。なんと残念なことか!

シューマンの弁護をちょっとすると、当時の作曲家の御多分にもれず、C.P.E. Bachは大変多作で、駄作もたくさん書いております。先駆者であり、実験者でもあったわけですから、失敗作が多くなってもしょうがありません。そういう駄作に何発も連続であたってしまうと、「駄目だこりゃ」という気分になってしまうのも無理からぬというもの。実は、ある意味私もそうでありました。

その私がC.P.E. Bachを見直すことになったのは、今年の3月にライプツィヒを訪れ、そこで、今年が生誕300年というポスターを見たからでありました。(C.P.E. Bachはライプツィヒで育った音楽家です。)昔だったら、それでも音源が無く、結局聞くこともできず、私なんぞには再評価もできなかったでしょうが、現代の我々には、ナクソス・ミュージック・ライブラリーがあります!そう、ここで、C.P.E. Bachの多くの作品が聴き放題なわけですね。いい時代です。

で、C.P.E. Bachをちょっと調べようと思って、何から聞いたら良いかというので調べると、彼の出世作は「プロセイン・ソナタ」と「ヴュルテンブルグ・ソナタ」という2セットの鍵盤ソナタのようでした14。で、何の気なしにヴュルテンベルク・ソナタの第1番 (1742年作曲)をAna-Marija Markovinaのピアノ演奏で聴き始めたわけです15。まぁ、「ながら聴き」だったわけですが、この第3楽章に入ってちょっとして「おいちょっと待て」と思って思わず聴き直したわけです。「これ、ソナタ形式だろ。」

で、楽譜を手に聴き直したら、正にソナタ形式。それどころか、『第1主題と第2主題のブリッジ部で「運命の動機」16が出てきて、展開部でガンガン運用してるよ。なんだこれは。』となって、C.P.E. Bachを真面目に調べはじめたわけですね。

というわけで、まずは、ビュルテンベルク・ソナタ (Würtenberg Sonata)を聴きましょう。色々聴き比べましたが、マルコヴィナが一番よいです。(ちなみに、ピアノはベーゼンドルファーらしい)。
C.P.E. バッハ:ヴュルテンベルク・ソナタ第1番 – 第6番(1742 – 44年)

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C.P.E.バッハ ピアノソナタ第1番 (1742) 第3楽章 Allegro Assai

先ほど述べたように、第1番の第3楽章はのソナタ形式です。左手は和音を連打、その上で右手が単旋律のメロディーを弾くギャラント様式で、第一主題と第二主題が違う性格を持つ多感様式の曲(つーか、ソナタ形式だと多感様式にならざるを得ない)です。1742年作曲ということは、大バッハはもちろん存命17。そして、今のところこれより古いソナタ形式には突き当たっていません。

これらはいずれも急-緩-急の3楽章形式で、第3番(Wq. 49-3, 1743年)になると第1楽章からソナタ形式が顔を出します。この楽章の主題は付点リズムの、バロック風の旋律なのですが、不思議とベートーヴェン臭がしてきます。

C.P.E.Bach ピアノソナタ第3番 (1743) 第1楽章 Allegro

これは第6番(Wq. 49-6, 1744年)になると更に顕著で、ちょっと第30番以降のベートーヴェンのピアノ・ソナタ風18。ベートーヴェンへの影響を取り沙汰されるだけのことは有ります。てか、どれだけ先進的だったの…。ベートーヴェンの30番(Op.109)って、1820年の作品なんですけど…。76年の隔たりがそこに…。

C.P.E.バッハ ピアノ・ソナタ第6番 (1744) 第1楽章 Moderato

実はこのCDには、ピアノ協奏曲も入っています。これも聞いてみましょう。
C.P.E. Bach: ピアノ協奏曲 ニ短調 Wq. 23, H. 427 (1748年作曲) マルコヴィナ(p) ルンゴ指揮ザクセン室内フィル

C.P.E.バッハ ピアノ協奏曲 ニ短調 (1748) 第1楽章 Allegro

チェンバロの通奏低音が入ったりするところはバロック的なんですが、それを除くと正に「疾走する悲しみ」。あ、それはモーツアルトのキャッチフレーズか。リトルネッロ形式なんですが、オケで主題を引いた後のピアノの入りがカッコよくて泣かせます。おすすめの曲なんですが、ぜひとも紹介したマルコヴィナ/ザクセン室内フィルの演奏で聞いていただきたい。ピアノじゃないと雰囲気出ないし、他のはスピードが遅くて「疾走する悲しみ」にならないのですよ。この辺にもC.P.E.バッハがこれまであまり評価されなかった原因があるかもしれません。バロックだと思って、ロマン派的バロックのテンポでバロック的に演奏したら全然ダメなんです。これを分からせてくれるのが、10年の歳月をかけて、C.P.E.バッハを研究し録音し続けたマルコヴィナの録音。正に賞賛するに値すると思います。

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脚注

  1. The Guardian: CPE Bach: like father, like son, (2011-02-24) ドイツ語原文だと「Er ist der Vater; wir sind die Buben。ひょっとして、日本の音楽教育言われる「バッハは音楽の父」とかいうのはこの発言の間違った解釈だったりするんだろうか?
  2. Wikipediaカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ (2014/8/27取得)
  3. 多感様式(ドイツ語:Empfindsamer Stil , 英語:Sensitive Style)は、18世紀ドイツで作られた音楽様式。「すなおで自然な感情」の表現を目指し、突然の気持ちの変化を特徴とする。一曲(楽章)を通じて同じ感情が支配するべきであるというバロック音楽のドクトリン「Affektenlehre」に対比する形で発展した。
  4. Wikipedia: “Sonata Form“, http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_sonata_form(2014/8/27取得)
  5. 要出典
  6. Wikipediaカール・フィリップ・エマニュエル・バッハ 後世への影響(2014/8/27取得)
  7. それまでまず書き損じがなかったモーツアルトが、ハイドン・セット (1782〜1785)では、散々書き直しをするようになったらしいことからも見て取れる。って、ほんまか?30年以上前に読んだ吉田秀和さんか誰かの本に書いてあったのを覚えているだけなんだが…。
  8. 実際にはモーツアルトの収入は現在価値にして2000万円を切ったことはなく、亡くなった年など年収6000万ペースだった。また大変貴重面でしっかり帳簿をつけていたので、戯曲や映画「アマデウス」とは対極的な人物だったようだ。借金の申込みの手紙はたくさん書いているが、個人としてではなく、設立した法人への追加出資を求めるものと解釈したほうが良いようです。結局最後は法人の負債は個人で肩代わりしている。
  9. シンフォニア Wq. 182/1〜6, H.657〜662 (1773年作曲)
  10. シンフォニア Wq. 182/1〜6, H.657〜662 (1773年作曲)
  11. https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/haramfugue/haramfugue.html
  12. 原 佳之:「フーガがモーツァルトの後期クラヴィーアソナタに与えた影響」 https://www.seitoku.ac.jp/daigaku/music/mozart06/writings/haramfugue/haramfugue.html (2014/8/28取得)
  13. 「スヴィーテン男爵に見せられたバッハの音楽と楽譜だといわれています」のようなことを書いていたどなたかの文章は、明らかに大バッハを指していた。これは、ちと不正確であったと言えよう。
  14. 余談ですが、彼は左利きだったせいで弦楽器演奏が苦手で、当時にしては珍しく、鍵盤楽器を主戦場にした音楽家でした。その彼が書いた鍵盤楽器(ピアノなど)演奏法の本は、当時から高く評価され、版を重ねていました。その本は画期的な演奏法を推進したらしいのです。なんと、親指を使っちゃうのです。え。そう、それまでの鍵盤演奏は、どうやら親指はできるだけ使わないものだったらしいんですね。ちうわけで、C.P.E. Bachは、現代ピアノ演奏法の父であったりもします。
  15. 曲目の年代は、Naxosとhttp://t-yoko.sakura.ne.jp/cpe_bach.htmlの両方を見比べて入れました。
  16. いわゆる、ジャジャジャジャーンのリズム。
  17. フーガの技法の初稿が1742年
  18. ただし、第3楽章はバロック風に戻ってしまっている。この詰めの甘さもまたC.P.E.Bach。ひょっとしたら当時の聴衆にも最後は慣れ親しんだ形の曲で落ち着いてもらいたくて意図的にそうしたのかもしれませんが。

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