大学生の「日本語力」が低下し、中学生レベルの国語力しかない学生が国立大で6%、四年制私立大で20%、短大では35%にのぼることが独立行政法人「メディア教育開発センター」(千葉市)の小野博教授(コミュニケーション科学)らの調査で分かった。
[産経新聞 2004/11/24]
なんとも、ぶっ飛んだ話だ。想像を絶するとはこのことか。私は外国育ちだから、案外まともな日本語を使えるようになったのかもしれない。もっとも、これは若者に限った話ではないかもしれない。私に年の近い人々でも、メールの文章など、一体全体何が言いたいのか、さっぱり分からない文章を書いたり、はたまた敬語と謙遜語がごっちゃになっていたりというのは枚挙にに遑がない。きちんとした文章を書くことが出来る人など、本当に一握りだ。日本の国語教育がおかしいことのひとつの証左であろう。
たしかに語彙が少なくなっているだろうことは想像に難くない。
義務教育での日本語の授業時間数が減っている一方で
「ことばを変える」メール(特に携帯電話でのメール)の存在、
薄っぺらいことばの氾濫するテレビや雑誌などのメディア。
[漂える島 2004/11/24]
最近私は、携帯電話で俳句や短歌のやり取りをしている。打つのが面倒くさい携帯電話では、短い中にメッセージを込めるこれら日本の詩歌は最適の形式だ。顔文字も良いが、和歌で言いたいことをやり取りするというのをはやらすことは出来ないだろうか?そうすれば、語彙の問題も日本語力も、あっという間に解決すると思うが。
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わぁ。かっこいい。
そうでした。日本語には短歌や俳句という、
短いことばのなかにひとつの世界を凝縮する
誇るべき手法があるのでした。
恋人たちが携帯で歌をやりとりするなんて
思い切りすてきだなぁ。うっとり。
検索魔の私です、早速検索してみました。
「携帯?..
恋人たちが携帯で歌をやりとりするなんて
思い切りすてきだなぁ。うっとり。
[漂える島 2004/11/28]
そうなんです。携帯は目の敵にされることが多いですが、私からすると、日本の伝統を今に蘇らせる道具なんです。
ただ、完全に自由だと案外書きにくいものですよね。
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