日本のマスコミがいかに腐っているかと言うことを専門家が論じている朝日ニューススターの番組。もともと腐っているとは思ったが、なるほど、そういう構造的問題が原因になっていたのかと、納得させられるものが多い。ぜひ皆さんもご覧になっていただきたい。
その1
▼扇情的・視聴率獲得的映像の連呼 犯罪や事故報道を事細かに放送するのは意味が無いし異常 調査報道の履き違え。事細かに調べることが調査報道ではない。 ジャーナリスティックに重要なディテールではなく、感情的フックに なりそうなディテールをやたら持ち上げてくる。これは、視聴率を とるのには安直で簡単だが、煽動であり、マスコミとしての責務からは 遠い。 ばらばら殺人を25分も報道する価値なし。 数字は取れるけど。 ▼安全な映像・絵になる映像によりかかりすぎ 戦争などの残虐性を表さない「消毒された映像」ばかり。 そのために、戦争に対して嫌悪感を抱かなくなってしまうというような 危険性がある。 松井の怪我がなぜたくさん流されたか? ・血が流れておらず、「安全」かつ視聴率が期待できる映像だったから
その2
▼事件・事故・火事は全国規模で流す内容ではないが、 安全で絵になる映像。 ▼見る人の感情に訴える映像だが、マスコミはやる必要なし。 やるなとはいわないが、ニュースのトップでやらなくてよい。 長くやらなくてよい。もっと多くの伝えるべきことがある。 ストレートニュースの番組はたくさんのことを短く客観的に ジャーナリスティックにやればよい。 ▼事件・事故などが大きく取り上げられる背景 ジャーナリスティックに検討された結果ではない。 キャスター・パーソナリティが連れてきた構成作家の指示によるもの。 これらキャスターは、過去の芸暦から非常に視聴率を気にする人々が 選ばれてしまっている。そのため、このような指示は予想ができる。 いわば、アヘンのようなもの。中毒している。 ▼構造的問題:日本のテレビが高コスト構造の中で作られている 事件報道はコストがかからない。ワイドショー方式は安くできる。 キャスターのギャラだけ。これが、いちいち専門家を訪ねてゆき 取材してとすると、コストがかかる。しかも、局の意図通りに話して くれないし。 ▼NHK7時のニュースとクローズアップ現代はまぁよい。 ▼ただし、NHKも最近橋を渡ってしまった。 ヒルズ代表が出てきて6者協議のトップに出てきたとき、進展があったかと 思ったが、松坂の話だった。 ▼夜7時のニュースは命令放送の対象ではない。にもかかわらず、トップで あつかう。この理由=視聴率といっているが、実際には予算確保のためと 思われる。 ▼いじめ自殺報道 小中学生の自殺にもいろいろな類型があるはずなのに、すべていじめで くくってしまう。 11月の北九州の校長先生の自殺があったが、あれはマスコミが原因。 新聞・テレビが暴走して校長先生がいじめ隠しをしたと報道。 実際には、「金銭恐喝がある」などとして教育委員会に報告していたが、 教育委員会は「いじめ」の報告はなかったとして、それをマスコミが報道。 この校長は前任校でもさまざまな問題に積極的に取り組んできた人。 しかし、マスコミは教育委員会の発言を鵜呑みにして、この校長を スケープゴートに祭り上げた。報道は、綿密な調査に基づいて行われなければ ならないが、それを省略してみんなで橋を割った結果がこれ。 この問題を明らかにしたのはTBSのニュース23。それまではみな、校長が いじめを隠していたと思ったはず。 ▼みのもんた問題 同じTBSでも、みのもんたの朝ズバはきわめて偏った報道。 いじめ問題に関しては、何でも学校のせいにする。 そんなに単純なはずが無い。これが、校長の自殺に結びついた。 キャスターがテレビ目線で怒り爆発。演出効果を考えた確信犯。
その3
▼TV局の上場はまずい 報道機関としては致命的。金になることしかやっちゃ いけなくなる。 ▼ニュース番組での占いコーナー 放送規定では、占いは非科学的なので放映しないと 言うことになっているのにナゼ流す? ▼情報番組と報道番組 報道番組は事実を流さなければならない。 情報番組はフィクションでよい。 注意して聞いていると、朝ズバなどは「情報番組」と謳っている。 ▼「ズバリ」言うには多大な検証が必要。 責任持った発言は、あんなにズバズバ言えるものではない。 ▼政治家のパフォーマンスと実行力 政治家が実行力ではなくパフォーマンスで評価されるように なってしまっている。米国もかつてはそうだったが、 現在ではパフォーマンス派は淘汰された。 日本は淘汰の気配がない。
その4
▼新規参入の有無の意義 米国C-SPANの例。新しいメディアが参入すれば変わる? ▼日本の国会の問題 米国や英国の議会は法律を作っているその場。 日本は官僚が作っていてそれを審議しているだけ。 だから、米国や英国は面白いのに日本はダメ。みな見ない。 本質が無くて、田中真紀子さんが面白いとかパフォーマンス、 添加物だけになってしまう。 ▼ステータスの高い番組がない ▼記者クラブ制に起因する新規参入の困難さ 5大メディアしか記者クラブに入れないため、それ以外は 取材ができない。 ▼マスコミの偽善性 絵になるニュース映像ならば、なんとか理由をつけて放送する。 たとえば「こんなニュースを延々と流している。けしからん。」と 言いながら、その「けしからん」ニュースを延々と流す。 ▼絵になるニュースでなければTVは報道しない 本当に重要なことでも、報道しない。 年金問題でも本質に触れずに、絵になる ▼日本のニュースは言葉遣いが難しすぎる その理由の一つに、メディアが政府発表をそのまま流すだけという ことがある。御用メディア。
その5
▼「供述した」という報道から読み取れること 直接取材したなら「言った」でよい。 捜査一課長から渡された供述調書によると そういうことというわけなので、「言った」ではなく 「供述した」となる。 ▼「記者クラブは資料をもらっているだけだから大したこと無い?」 そういって、5大メディアは記者クラブに他社を入れない理由にする。 しかし、それはおかしい。なぜおかしいかというと ▼公務員から記者会見以外の場で情報を取るのは本来違法 公務員は守秘義務がある。公の記者会見(記者クラブ)以外での 質問に答えてはいけない。それを、「独自取材」で聞いたら、 公務員は守秘義務違反、取材した側はそそのかしの罪に問われる。 ▼記者クラブに他社をうけいれると、「聞いちゃいけないことを聞いてしまう」 その結果、答える側は否定するかごまかすかしかなくなる。 それがTVに映ってしまったりすると、予定調和の報道の問題が 明らかになる。 ▼行政情報は16社がすべて握っている 雑誌などの情報も、すべてその16社から流されたものを書いているだけ (雑誌は記者会見に参加できない) ▼情報公開法に一番反対したのはマスコミ マスコミの既得権益を削ることになるから。 ただし、情報公開法ができて、その点ではかなり良くなった。 ▼記者懇談会の問題点 そこで聞いたことを書いてはいけない。 このような政治家と記者との関係は海外では論外。 ▼海外の記者の意見:非公開の場での取材は違法 ▼村の掟にまもられたマスコミと一番特をしている権力 ▼政権交代がないのは世界で極めて例外的 (ほぼ)一党単独支配はマスコミが後押ししている。 ▼報道が政治を作ってゆく日本 懇談会で政策を決める。死にかけている政治家の代わりに俳句を書く by なべつね。(報道ではなく、ねつ造・隠蔽)
その6
▼記者の馬鹿な質問 「首相、松井のホームランはどう思いますか?」 あほか。もっとも、その女性記者は首相番を首になったようだが。 ▼マスコミの系列化による相互批判が無くなってしまう問題点 本来、新聞の批判はTVがして、テレビの批判を新聞がする。 しかし、日本の場合は両方同じ資本なのでダメ。 ▼センセーショナリズムと忘れっぽさ:メディアスクラム 熱しやすく冷めやすい体質。重要なことを追いかけていても、 なにかスキャンダラスなことが起きると、そっちに行ってしまって 重要なことを忘れてしまう。 ▼外部コメンテータの使い方 局で言えないことを(生番組で事故として)言ってもらう。 志のある番組制作者はそういうことはしている。 ▼スポンサーとメディアの自主規制 ▼メディアと政府の距離は史上最も近い ▼キャスターとCM(スポンサー)の関係 かつては、お天気お姉さんですら、ニュース番組に出ている間は CM出演はしなかった。(ニュースステーションと大石恵の事例)。 しかし、今やメインキャスターがCMに出るようになってしまった。 ▼みのもんたのCM出まくり問題 キャスターの権限は絶大なので、スタッフが自主規制する可能性。 スポンサーの意志の介入を視聴者が疑わなければ行けないが それが日本の場合機能していない=リテラシーの問題。 メディア間批判の問題 ▼メディアが自らの責任を果たしていない 英国:官僚と政治家の不要な接触は認められていない。 日本:ずぶずぶ。どちらが政治家か分からない。 CMの問題:キャスター本人だけの問題ではない。 そういう人は局が、民放業界が使ってはいけない。 日本:キャスターと局がずぶずぶ
その7
▼一流タレントのCM出演が表す日本のメディアリテラシーの低さ 欧米ではありえない。 ▼テレビの依存性 日本のメディアは5系列16社しか選択肢がない。 市民に与えられた選択は電源を切ること。 しかし、テレビには依存性が...。 ▼たばこCM規制に見る日本のメディアの機能していなさ 欧米ではたばこCM規制は国やメディアが議論している。 日本では市民運動の結果JTが自主規制したのであって、 メディアは役割を果たしていない。