〜市場は年初から大暴落。政府予算案に不信任を突きつけたが、政府は…〜
1月号で政府予算案のあまりのひどさに言及したが、そう感じたのは何も私だけではなかったようだ。 年初から株式市場は大暴落、一番分かりやすい形で橋本政権に不信任を突きつけた。
ところがこれを受けての政府の発言たるや、お粗末と批評する気にもならないような者である。曰く、足下の市場の動きに惑わされるべきではない云々。どうやら、政府首脳は何か根本的な勘違いをしているようだ。
市場が暴落したりしたとき、今の政府の念頭に浮かぶのは、株価を下支え政策などのようだが、 市場が要求しているのは勿論そんな短期的な小手先の対応ではない。 今回の市場の下落は、円安と軌を一にしているが、これは、要するに日本売りである。 つまり、長期的に見て、今のままの運営が続くのならば、日本は駄目になると、 市場が判断を下したのである。
おそらくこの市場の判断は概ね正しい。 日本は根本的にその運営形態を改めなければならない時期にきているといえよう。
では、どのように運営形態を改めるのか? ずばり、市場原理の公共部門への導入である。 具体的には、最近言われ出した「地方分金」に近い。 その地方からあがる税収は、その地方に帰属させる。 その財源を使って、その地方は、あたかも一つの企業のように その「市」なら「市」を経営するのである。 当然、経営がずさんならば、その「市」は人口や企業の流出を 招き、「倒産」する。その「市」の目標はもちろん、 収益(税収)の長期的極大化である。当たり前であるが、 税率をむやみに上げれば、どんどん企業や人口の流出を招き、 税収は落ちてしまう。かといって、税率を下げすぎて、財源が なくなり、都市サービスが低下すれば、やはり人口は流出してしまう。 英語で市政施行のことを「Incorporate into City」というが、 まさに、「市」は Corporation(企業)としての経営センスが問われるわけである。
どのレベルの地方自治体を一つの独立した「企業」として取り扱うべきかは 意見が分かれるであろうが、わたしは、「市」のレベルが良いと思う。 人間の生活圏として考えた場合、「市」程度が適正と思うからだ。 「町・村」レベルだと、人口が少なすぎて財源に破綻をきたすし、 経営効率も悪くなるから、これらはまとめて「県」として扱う。 つまり、現在は「国−県-市・町・村」というヒエラルキーが 存在しているが、これが崩れ、県(町・村)と市が対等なかたちになるのである。
一方、国の役割は、このようなフレームワークでは、現在よりもかなりかぎられて、 外交や通貨政策などのよりマクロな問題や、広範囲を巻き込む外部性の調整などに かぎられる。また、 国の財源は、これらの地方自治体が拠出するのであって、現在のように、 国が税金を徴収して、それを地方に配るのではない。 これによって、国が地方自治体を実質支配するという現在の悪しき状況が 崩れる。
今の日本は、いわば本社機構が肥大化して、動作が鈍くなった、 巨大企業である。このような企業は早晩つぶれる。 それを救うには、本社機構を大胆にリストラして、 現場(この場合は地方自治体)に権限を委譲する必要がある。 これをしないのならば、日本は旧日の栄光にすがりつつ 沈み行く黄昏の国とならざるを得ないであろう。
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