均衡とか選好関係とか一物一価とか、すごく誤解されてるよね

以前から気になっているのだが、どうも基本的な経済学のコンセプトである選好関係とか均衡だとか、そこから導き出される一物一価の法則とかが、間違って認識されていることが多い。今日も、 @takuyakitagawa さんが「昨日は僕はワインが飲みたかったけれども今日は日本酒の気分なので、選好関係が成り立ちませんね、的なことだと思います」という風に仰っておられた。

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なぜこのような誤解が起きるかというと、恐らく、経済学における財 (goods) の概念がきちんと伝わっていないからだろうと思う。そこで、ここでは、若干不正確な説明になることには目をつぶって、大胆に簡単に説明しようと思う。

経済学における財とは、ある物理的性質を持ったもののある時点・場所における状態のことを指す。つまり、「ワイン」という財は無い。同じグラスに入れた Chateau Margaux 1992 でも、今この瞬間と、次の瞬間では違う財としてとらえる。あるものは、同時に2箇所に存在はできないという仮定を受け入れるならば、ある物理的属性を持ったものは、t を時間を表す添字として、xi = {xit | t ∈ Z} で表される。ここでは、それぞれのxit が、1つの財である。

一物一価の法則とは、この特定のxt についての取引が成立した時、その取引価格は1つだけである、というほとんど自明にみえる(けれども、よく考えると自明ではない)ことを言っている。決して、xt と xt+1 が同じということを意味していないし、同じカテゴリーに属する2つの財の値段(例:ある場所のタクシーと他の場所のタクシー)が同じになるということも意味していない。

選好関係も同じようなものである。よく経済学の入門編の教科書などでは、選好関係のことを、紅茶とコーヒーとどちらが好きか、というような説明をするが、上記から分かるように、実際には、ある特定のある時点の一杯の紅茶とある特定のある時点の一杯のコーヒーとの比較になる。したがって、@takujikitagawaさんの例で言うならば、昨日のワインと今日のワインは別の財だから、昨日はワインが飲みたくて今日は日本酒が飲みたくても、何の矛盾もない。もっと言うならば、実際の選好関係は、単一の財に関してではなく、全体の財バンドルxi とxi の比較になるので、他の財の量も影響してくる。そして、その選好関係は、個人毎に異なることが許容される、いやむしろ異ならなければならない。個人の選好関係が凸であるという仮定を外すためには、個人毎に選好関係がバラバラで、かつ所得も分散していなければならないのだ。でないと均衡が存在しなくなる可能性がある。そして、大変都合の良いことに、実際のわれわれの選好関係や所得分布はそれを満たしている。

このように、経済学は、現実のわれわれのおかれた状況にきわめて近い仮定のもとでモデリングがされている。だから役に立つのだ。これが、すべての人が同じ選好関係を持っているというような仮定のもとあったら、現実とかけ離れ過ぎてはっきり言って役に立たない。

ちなみに、一般均衡理論というのは、こうした一般的な仮定の元で均衡が存在することを証明し、さらにその均衡がパレート最適であることを証明する。これがベンチマークとなる。この上に、様々な市場の失敗を導入して最適でない均衡を求め、これを最適均衡に近づけるためには、どのような追加の仮定=政策を導入したらよいかを考える。多くの場合、この「政策」は自明のものではなく、往々にして直感に反する。そういう、直感に反することを教えてくれるからこそ、経済学は役に立つのである。

おっと、もう九時半(ミュンヘン時間)。大変。はやく晩御飯を食べに行かないと!

それでわっ!

 

 

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