今日、故あって、銀座のエルメス・ギャラリーでやっているマチュウ・コプランによる展覧会「エキシビジョン・カッティングス」1に行ってきました。アートシーンには全く疎いのですが、前回の東京オリンピックの1964年というと、日本は世界をリードしてたころでなんですね。
大パノラマ展とか2
普通は画廊での個展は初日は華やかにレセプションとかあるものですが、これは画廊を封鎖して始まり、個展の終わりに封鎖を解いて祝って終わるという反展覧会 Anti-Exhabition。それに続く世界各地でのアートの商業化に対するアンチテーゼの動きを見て、色々考えるところがありました。
それの一つが、あり得たもう一つのオリンピック開会式。
コロナでロックダウンの時期だったんだから、それにふさわしく反開会式 Anti-Opening にして、選手は誰も入場せず、オリンピック村の自室のバルコニーにソーシャルディスタンスで並び、国立競技場にはバッハ会長他オリンピック貴族と関係者だけがいるのをずっと画面半分でTV中継、もう半分ではドローンで宿舎バルコニーを国別に写して回る。音楽はケージの4分33秒でコロナでなくなった方々と、「復興五輪」なんだから10年前の震災で亡くなった方々に黙祷を捧げる。後者に関しては、復興の現状を包み隠さず写す。
オリンピックの最中は、IOC貴族たちにカメラが密着。東京オリンピックとしてのアートタッチのドキュメンタリーを残す。
選手たちが一同に会すのはもちろん閉会式の最後までお預けです。残った人たちだけですが。残らなかった人たちは大スクリーンでバーチャル参加ですね。
最後の最後に誰か象徴的な人(誰が良いですかね)がオリンピック貴族たちを排除してアスリートたちが集まり、商業主義との決別を宣言3するとか。LAオリンピック以来ずっとではありますが、今回は特にこれだけ商業主義とアテンションエコノミーの暗黒を見せつけている4オリンピックなのでちょっと妄想してみました。
脚注
- Le Forum「エキシビジョン・カッティングス」
マチュウ・コプランによる展覧会”Exhibition Cuttings” An exhibition by Mathieu Copeland 2021.4.23(金)~7.31(土)https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/210423/ - 検索してもあんまり良い情報が出てこないので、「エキシビジョン・カッティングス」に行くのおすすめです。これに続く一連の世界での動きと合わせて勉強できます。ところで、ヨーコ・オノってすごかったんですね。
- スポーツ団体の資金源がこのへんだから無理は重々承知ですが。
- 小山田圭吾問題とかのぶみ問題とか、アテンションを取れる人を選ぶという広告代理店的思考ですよね