永久に問うては散る言の葉は

アメブロがリニューアルということでしばらく閉じていた関係もあり、久々に「風マリア」を訪問して、以下の歌を見つけた。

少しずつ書き記したる無意味さを永久に問うては散る言の葉は
失くしたキー不意に現るジーパンの後ろポケット何日眠る
これでもか、これでもかって羅列するふぞろいな文字うつろわば春
短歌にはポツポツとしてあらわれる大きな文字がよくにあふかな

一首目は、ヴィトゲンシュタインの趣。「語りうるものは明らかに語りうる。語りえないものに関しては沈黙せねばならない」か。

二首目は、「あるある」という感じ。日常の一こまをうまく切り取っていると同時に、探していると出てこない不条理を感じさせる。

三首めは、文語の中に「これでもか、これでもかって」と話し言葉を放り込んだコントラストが鮮やか。四句切れで、それまで紙面に落としていた目をふと上げると、五句目の春の風情が目にまぶしい。

四首目は、なんだか理由は分からないけれどもちょっと好き。

元の順番は違うけれども、こう並べると、理知的な諦念の境地から現実の不条理を超え、それでももがき戦う中から春の空気に「現実の尊さ」を教えられて、目の前の現実を愛すに至るようなストーリーが見えてくるような 🙂

「永久に問うては散る言の葉は」への0件のフィードバック

  1. 短歌に恋して〜なんちゃって歌人は今日も行く〜 4

     紙媒体とネット表現

     コンデンスミルク  上のリンクを見て欲しい。友達と、短歌のCollaborationで作った作品である。タイトルはコンデンスミルク。内容は、ちょっとエロチック系。でも、笑っちゃう。 まず、リンクを開いたら、スクロールをして、画面を

  2. 紙媒体とネット表現に対するコメント:
    (アメブロにコメントしたら、server busy で長文が消えてしまった…)

    内容の良し悪しは別として:-)、表現の多様性は当然あってよいと思います。そもそも紙の上でもいろいろな試みはなされてきて、古くは絵巻の上に仮名の書体も考えて和歌を散らしたりと、和歌の伝統にも則ったことだと思います。絵巻がWebになっただけですね。近いところでも、紙質にこだわり、その上に押す活版の圧力によるでこぼこにこだわり、なんていうこともされています。

    表現としての前衛は、最近停滞気味だと思っています。前の世代にたいていのことはやられてしまっている。ダダ・シュールレアリズムのころをあまり越えられていない。モダン・ポストモダンと来て、次はどこへ行くのか?突破口が必要です。

    なお、「コンデンスミルク」自体には、私は70年代的懐かしさを感じました。

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