以前にも書いたが、わたしは自分のことを歌人とは思っていない。理由は単純である。あまりにも勉強が足りないからだ。
わたしは万葉集も古今も新古今もちゃんと読んでいない。子規も晶子もまともに読んでいない。茂吉も赤彦も文明も塚本邦夫も岡井隆も読んでいない。みんな、代表歌と呼ばれるようなものを、父の紹介でぱらぱらと目にしているだけだ。体系立って読み込んだことは無いのだ。そんな状態では、その上に重なる一歩を踏み出すことなんかできるはずも無いのである。だから、わたしの短歌は遊びの域を出ないのである。
体系的に学んだということで言えば、私について言えば、音楽の方が遥かにマシである。わたしは、音楽も素人である。しかし、主にバッハ以降であるが、かなり体系的に押さえてある。というか、クラシックの世界だったら、それ以外ありえない。平均律を聴き込んで、ベートーベンのピアノソナタ全曲を聴きこんで、…というのは、当然の最低限なのだ。だから、たとえば今日車の中でラジオから知らない曲が流れてきても、「え〜と、こういうオーケストレーションだと、だれだろ。うん、マーラーだ。」とか、「あぁ、これは多分プーランク。」とか言えるのだ。残念ながら、知らない短歌を見せられて、その作者を言い当てることなど、わたしには出来ない。音楽の世界で言えば、しろうと以下なわけである。
何事も、過去の業績の上に積み上げてゆくから、その先のことができる。古今は万葉を踏まえ、新古今は古今をふまえたから、ああいう形になり得た。音楽で言えば、ストラビンスキーやシェーンベルクは行き当たりばったりでああいう(当時としては)前衛的な音楽を書いたのではもちろん無く、実際には、バッハ-ハイドン-モーツアルト-ベートーベン-ブラームス-リスト-ワーグナーと連綿と続いてきた延長線上のほんの一歩を踏み出しているに過ぎない。ゼロからスタートしていきなり大跳躍するなど、人間にはあり得ないのだ。つまり、古典を踏まえていない作品は、言い方は悪いが、必然的に「くだらない」か「まぐれ」かのどちらかなのだ。従って、わたしの短歌はまず間違いなくくだらないということになり、それを云わば誤魔化す為に、言葉遊びを取り入れたり、違うルールの上に乗せているのである。照れ隠しでもあり、エチュードでもあるわけだ。
昨今、平易な短歌がはやっている。それ自体は悪いことではないが、表面的な詠みやすさ故に、古典を知らずにやり、それを良しとする傾向が強いように見受けられる。これは憂うべきことである。古典を知り、難しい歌も詠め、しかし、あえて平易な歌を詠むのと、平易な歌しか詠めないのとでは大違いである。
昔、父の書斎には大量の本が置いてあった。万葉・古今・新古今は言うに及ばず、斉藤茂吉全集、土屋文明全集等の全集が壁一面に置いてあった。そして、何かあると、そのうちの一冊をぱっと取り出して、歌を見せてくれた。曲がりなりにも歌人を名乗るのであれば、そのレベルは維持しなければならないと思う。短歌で、と思うとげんなりするが、他の分野でだったらその程度当たり前のことだ。だってそうでしょう?「あぁ、そこのところはベートーベンのこのフレーズが」と言いながら、ベートーベンのピアノソナタ全集のCDから第30番の終わりの部分を聞かせる、なんて普通に私でもやりますから。それどころか、そんなところでは止まらずに、音組織がどうのとか調性を破壊するのになんだとか、やるわけです。あくまでも、素人がね。物理だって、数学だって、経済だって、みなそうでしょう?卑しくも「者」とか「人」とか「家」とかつけるレベルにあるためには。
だから、私は歌人では無いのである。古典を踏まえて現在の最先端まで達してすらいない私が「歌人」で在れるはずも無いのである。
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久しぶりに短歌系のトラックバックをいただき、われに返る。「あ、いけない、風マニアは短歌のブログだったわ〜♪」←反省しろ、反省!
とは言うものの、自分の目から見た社会というか、それがささやかなローカルな社会であったとしても今の時代の影響は避けられず、学…
藤原定家の言葉に『いはんやちかき世の人は、たゞ思えたる風情を三十一字にいひつゞけんことをさきとして、更に姿詞のをもむきをしらず。これによりて、末の世の哥は、たとへば田夫の花の陰をさり、商人の鮮衣をぬげるがごとし。(近代秀歌)』というのがあります。今も昔も同じですねぇ。
トラバありがとうm(__)m
興味深く読ませていただきました。
うちも、自分が歌人とは、まだ正直名乗れません。
あまりにも面映いです。
なんちゃって歌人と自称できても、歌人だとは……
ただ、歌を読む事が好きで詠んでいる状況です。
有名な歴々の歌人の名前を知ってはいても、まともに読んだ事はありませんし、あまり詠みたいと言う気持ちが今は、起きないのです。
何故って、心に響いてこないから…..
歌人の為の短歌はいらないと思うのは、驕りなのかしら?と思いつつ、どこかでそう言う気持ちが起きてしまっています。
万人に受け入れられなくとも、どこかで気になる歌が詠めたらいいな、と思う最近でした。