幸福の国「ニポン」の寓話

NSTICのガバナンス・ワークショップに出て以来、国に代表されるような、ある「社会レベル」の「複数の需要者」がいる場合の調達の方式はどうあるべきか、ということについてつらつら考えています。まぁ、月曜から始まる第二回NSTICワークショップの準備なわけですが。

ぱっと見ると、

(1)伝統的な(取りまとめ役による)一社落札の入札方式、

(2)(取りまとめ役による)複数落札の入札方式、

(3)個別調達方式

の3種類位があると思います。(1)と(2)は共同購買方式でもあります。

これ、一見すると購買力を最大化できる(1)が効率的なように見えます。供給という面から見ても、1種類のものの供給に集中出来れば効率的であるように思われます。みなさんもそう思いませんか?

しかしながら、実際のところは(3)が効率的になります。その理由は、「人の好みはさまざまだ」ということにあります。

二人の人がいれば、その好みが全く一緒ということはありえません。同様に、2つの組織(例えば自治体)があれば、その好みが全く一緒ということもありえません。(1)はこのことを忘れてしまっているのです。このことを説明するために、ひとつ寓話を書いてみました。北太平洋にある、ニポンという島国のはなしです。


幸福の国「ニポン」の寓話

昔々、北太平洋のあるところに、ニポンという島国がありました。この国は20年ほど前までは絶好調の経済を背景に我が世の春を謳歌していましたが、60年前の人口爆発時ににとった少子化政策を放置した結果起きた少子高齢化に今は苦しめられていました。

1986年JAL入社式
JAL入社式。1986年:服装もそれぞれ。意外に個性的(出所:日本経済新聞 2010/9/16) 挿絵は本文とは関係ありません。

その国の人口は1億人でした。平均年収は400万円で、国民はだいたい2タイプのグループに分類されていました。ひとつは衣食住重視主義のグループ、もうひとつは教育娯楽重視主義のグループで、それぞれ5割づつです。平均年収が400万円なので、国内総生産(GDP)は400兆円です。

衣食住タイプのイショーク・ジュウさんは衣食住にこだわるので、高級なものを買い、その結果衣食住に300万円、教育娯楽に100万円を使っていました。一方、教育娯楽タイプのゴ・ラークさんは教育娯楽に300万円使う代わりに衣食住を切り詰めて100万円しか使わないようにしていました。2人とも、もっと所得が多いといいなとは思っていますが、自分の稼ぎではこの配分が一番と思っています。

そんなある時、新しい政権ができました。公平効率党政権です。この政権の公約は2つ。「公平が一番」「無駄を省いて効率的に」です。

この政権は早速公約の実現にとりかかります。

まず、無駄を省くところから始めます。どこに無駄があるのか?これを炙り出すために、この政権は有識者委員会を組織して検討を行いました。

「おや?なんでこんなにいろんな種類を生産しているんだ?デザインしたり生産工程作ったりするのにはオーバーヘッドがかかる。統合して生産を集約出来れば、オーバーヘッドを減らせて効率的だ。しかも、国民の分を全部政府が購入して配給すれば、莫大な購買パワーを背景に安価に調達できる。よし、そうしよう。」

「公平性はどうだ?お、食べ物も着るものも住むところも娯楽も、一括調達して配給すれば、全員同じものになるからめちゃくちゃ公平だ。すばらしい!我が政権は永遠だ!」

公平効率党はさっそくこの政策を実施します。すべてのものを政府が一括一種類調達して配ります。一種類調達ですから、服も食も住居も娯楽も平均的なものにせざるを得ません。しかし、集中購買の効果で、それぞれの調達額を2割削減できました。政府は言います。「これで貴方達は2割節約できます。その分を貯蓄したり社会保障に回したりできます。すばらしいではありませんか!」

ところが、イショーク・ジュウさんとゴ・ラークさんは不満顔です。イショークさんは言います。「なんでこんな貧乏ったらしいところに住まなきゃいけないんだ?食事も悪くなったし。そのくせ教育・娯楽は使い過ぎでもったい無い。」一方、ゴ・ラークさんも不満たらたらです。「あんな低級なコンサート行ったって意味ないわよ。住むところはもっと質素でも良いから、まともな教育や娯楽を提供してもらいたいもんだわ!ぷんぷん!」

政府は言います。「まぁ、不満もわからなくもないですが、一番じゃなきゃいけないんですか?2番じゃいけないんですか?それに、貴方達は今や80万円も貯蓄できるじゃないですか。」

イショークさんもゴ・ラークさんも反論できず、しぶしぶと引き去がりました。

しかし、本当に80万円貯蓄できるんでしょうか?

新政権以前はイショーク・ジュウさんもゴ・ラークさんもみな400万円づつ支出していました。結果、総支出は400兆円でした。企業はこの400兆円を従業員に分割してお給料として、400万円づつ払っていました。しかし、いまや320兆円しか企業には入りません。したがって、320万円づつしか二人には払うことができないのです。

さぁ大変。ボーナス大幅ダウンで、約束した80万円の貯蓄はできなくなってしまいました。イショークさんもゴさんもオカンムリです。政府の支持率は急降下です。政府は緊急で政策会合を行いました。

首相は言いました。「みなさん、どうしたら良いと思いますか?」

すると、有識者が答えました。「全員に一番のものを供給出来れば良いのですが、それは不可能です。しかし、イショーク氏とゴ氏の不満のひとつ、それぞれこんなに衣食住と教育娯楽にお金を使いたくないということには答えることができます。品質を落として100万円で生産できる衣食住とと教育娯楽を供給すれば、この不満は消すことができます。しかも、節約した分は貯蓄に回せます。」

「すばらしい!それを実行しよう!」首相は叫ぶとすぐに指示を出しました。

ほどなく、ニュースが流れました。「公平効率党政権は、これまでの政策を見直し、国民の生活が一番ということで、衣食住費、教育娯楽費共に100万円づつに引き下げることを決定しました。これによって、こんなに贅沢なものは要らないという国民の声に答えると共に、従来の公約を上回る120万円の貯蓄を国民はすることができるようになります。」

政権の支持率はすぐに上がりました。イショークさんは言いました。「そうだ。教育娯楽なんか100万円で十分なんだ。無理やり160万円も払わされていてひどい目にあっていた。ようやく政府も目を覚ましたな。」ゴ・ラークさんも言いました。「そうよ。衣食住に160万円なんてありえなかったから。100万円でいいってものよ。」

ところが、その雲行きはすぐに怪しくなってきました。イショークさんとゴさんの雇用主が、ボーナスは払えない、来年は給料も引き下げなければならないと言い出したのです。

「会社の横暴だ!」二人は叫びましたが、実際に会社の財務を見てみると、大赤字を出していました。経済全体で見て売上は200兆円しか無くなっていたのですから当たり前ですね。衣食住も娯楽も200万円づつしか支出しなくなっているのですから。結果、お二人の年収は200万円づつに落ちてしまいました。これでは貯蓄などできません。

国民は騒ぎ出しました。イショークさんは言います。「一体なんなんだ?!こんなクソみたいな食事しか食べられなくて、貯金もできないとは!」

ゴ・ラークさんも言います。「こんな最低な教育娯楽でどうしろっていうの?!しかも貯蓄もできないじゃない。老後はどうなるの?!」

政権の支持率はついに一桁に突入です。もう一度政府は専門家達を招集しました。

「何が悪いんだ?!」首相はイライラした声で怒鳴りました。

すると専門家たちが答えました。「国民の好みがバラバラなのが悪いのです。報道を統制、公共広告をたくさん流すと同時に、教育改革もして好みをひとつに揃えるようにしましょう。異端分子は矯正収容所に送って、偏った嗜好を改善するようにしましょう。」

首相は叫びました。「わかった、すぐにとりかかれ。」

こうして、テレビは政府発表を垂れ流し、学校は均質化された子供たちを生み出すことに集中し、イショークさんとゴさんは収容所に送られて、好みの矯正がおこなわれました。矯正が失敗した人々は粛清されました。

JAL 2010年入社式
JAL入社式。2010年:ネットで情報収集。スーツ、靴、髪型までそっくり。(出所:日本経済新聞 2010/9/16) 挿絵は本文とは関係ありません。

国内総生産は政権が変わる前の半分以下になっていました。しかし、この政策の結果、国内総幸福は激増しました。みな同じ服を着て同じ髪型をして、首相を褒め称えます。政権支持率は98%で、ある新聞社の行ったアンケートでも、世界で一番国民が幸せを感じている国になりました。2%の人々は、おかしいと言い続けていましたが、彼らは異端者として社会全体から弾かれていました。街を歩いてインタビューすれば、みな「首相が偉大だからわれわれはこんなに素晴らしい幸福と公平を達成できたのだ」というでしょう。たまに道端に異端者がうずくまっていることはありますが、お母さんがたはかれらを指さして「あれが異端者よ。社会の害悪だわ。ひどいわね。ああなってはいけないわよ。」と子供たちに教えているのを聞くことができるでしょう。

ある時首相が海外から取材に来た記者にこう語っていました。「たしかに我が国の国内総生産はかつてに比べて大幅に減ってしまいました。しかし、国民の幸福度は世界一です。我が国は、国内総生産よりも国内総幸福を選んだのです。」

寓話の教訓

なんだかヒドイ話だなとお思いでしょう。しかし、これは実はほとんど実話です。ソ連や北朝鮮がこの代表例なのです。驚くべきことにこれだけ国民はひどいことになっていながら、どこにも悪意の人はいないのです。しかも、とっている対策は、その部分だけとれば最適と言えなくもありません。しかし、起きていることは、部分最適の積み重ねによって全体最低化がおこなわれてしまった状態なのです。その失敗の原因は、人の好みはそれぞれだということ(好みの多様性)を認めなかったということにつきます。

そんなことは日本では起きないから心配しなくていい、そうおっしゃいますか?

実はこのミニバージョンは日本でも起きています。

たとえば、自治体(市町村)やその他の政府・公共機関が共同で使うというようなシステムを考えてみましょう。今で言うと、「番号」制度で議論されている「情報連携基盤」などがその代表例です。情報連携基盤は、1800にも登る市町村や公共機関の情報システムをつなぎ、個人に関する情報を転送して事務効率化をしたり、国民の負担を減らしたりするためのシステムです。単純に考えると、ひとつの共通システムを調達して、全機関で共同で使ったほうが効率的に思えます。しかし、そう考えた瞬間、実は、すべての市町村・公共機関が同じ「好み」を持っていることを仮定してしまっているのです。その仮定が間違っているのは言うまでもありません。だから、過去の似たような事例、たとえば住基ネットやら公的個人認証などでも自治体から不満の声が上がったりするのです。

正しい選択の第一歩は、それぞれの機関(主体)の好みの多様性を認めることです。こうすると、システムをひとつだけ、中央で集中購買するという選択肢、すなわちオプション(1)が消えます。「(1)の方が安くあがって効率的だ」という反論があるかもしれませんが、寓話で説明したように、「安くあがった」としても、参加者の満足度がそれ以上に落ちるので「効率的ではない」のです。安く上げるのが効率的なのは、満足度を一定に保つことが出来る場合に限ります。

次に(2)ですが、(1)よりはましですが、「取りまとめ役による」というところが鬼門です。「取りまとめ役」が個別の関係者の好みを理解しているかというとそんなことは無いからです。

したがって、(3)が本来取られるべき施策となります。(3)は個別と言っていますが、これは必ずしも本当に個々の関係者毎に調達する必要はなく、ほぼ同じ嗜好を持っている人/団体ごとでグループになって購買するのでも構いません。この時重要なのは、個別の関係者は、ひとつの購買グループから他にいつでも移れるということ、必要に応じて新規購買グループをつくることができること、つまり、グループの「選択の自由」が保証されていることです。これが実際には、購買する品の選択の自由につながっています。また、購買する人物/団体が一つである場合は、(1)=(3)であることも指摘しておいてよいでしょう。(1)が効率的なのは、購買する主体がひとつだけである場合(=好みの多様性が存在しない場合)なのです。

また、(3)の場合、複数の供給者から複数の製品・サービスが提供されることになります。これらの間の互換性を確保するためには、インターフェースやデータ形式の標準化を行わなければいけません。しかし、これは民間では普通に行われていることですから、政府にできないわけがありません。

NSTICで、「選択肢の重要性」「標準化」などが「統治機構」の重要な要件とされるのは、こう言うことをちゃんと意識しているからなんですね。

もう一歩進めて

さて、購買側が複数の主体で構成されている場合、個別購買のほうが中央一括購買よりも効率的であることがわかりました。これをもう一段すすめることはできないでしょうか?

たとえば、こういうのはどうでしょう?

『仕様書を提示して入札を行うのではなく、民間が勝手に提供しているサービスを吟味して、自分にあっているものを要る分だけ購入する。』

これの良いところは、システムを国や自治体などが税金で構築する必要が無いことです。

税金で構築する場合、結局使われないシステムを、税金で作ってしまうリスクが常に有ります。もちろんそうならないように慎重に見積もりはするのですが、新しいものに関しては、残念ながらそんなに正確にはなりようがありません。その結果、使われないシステムを大金を積んでつくるということが往々にして起きてきました。

これに対して、民間が勝手に提供しているサービスを使う場合、システム構築には税金は投入されません。利用した分だけ支払うので、無駄がありません。供給業者が複数あれば、競争による価格低下・サービス向上も見込めますし、新しい技術もどんどん取り込まれてゆくことでしょう。

実はこうした形の調達は、米国などでは結構一般的です。COTS(Commonly Off the Shelf)と呼ばれています。開発期間も調達価格も下げることができるのが分かっています。サードパーティの製品への依存の問題やインテグレーション費用の増大という問題が指摘されてきていますが、これらも「インターフェースの標準化」「データフォーマットの標準化/データポータビリティ」によって解決が可能です。だからこそ「国際標準化」が重要になってくるのです。国際標準(ISOやITU-Tだけでなく、オープンなデファクト標準でも良い)であれば、十分に市場が広く、複数のインターフェース互換な製品供給が期待されるので、特定製品への依存や囲い込みの問題が起きにくくなるからです。

財政難のおり、日本もそろそろこういう調達方式を考えても良いのではないかと思います。

(ボストンにて)

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