グスタフ・クリムトのスタイルで白百合を1本持った聖母マリアをあしらった16:9の背景画像

アニメ史に残る異色の主題歌 — 『Lilium(白百合)』ラテン語歌詞の秘密

楽曲について

Lilium (白百合) という曲があります。アニメ「エルフェンリート」1のために小西香葉・近藤由紀夫(MOKA☆) さんによって書かれた、ラテン語の歌詞の曲です。OPとして、クズタフ・クリムトの絵をモチーフにした画像を背景に2流れたり、オルゴール版が物語中で記憶の鍵になったり、クライマックスでも劇中音楽として使われる曲でもあります。

カバー版も色々出ていて、VTuberの町田ちまさんの版が320万回以上再生されていたり、オルガン版フルート版などが出ています。

歌詞は4節からなり、各節はそれぞれ、「詩篇」37-30、「ヤコブ書」1-12、グレゴリオ聖歌の「キリエ・エレイゾン」をもとにして作られたり、中世のラテン語聖母賛歌「Ave mundi spes Maria (めでたし、世の希望、マリアよ)」よりとられたりしています。詳細は表1を参照してください。そうした関係で、西洋では讃美歌のようだと称され、実際に、ウクライナのキーフチリ等の合唱団が公演した記録があります。(教会で宗派を超えて演奏されているという情報もありますが、裏が取れませんでした。)また、2025年6月にはウクライナのiTune StoreでJ-Pop トップソング”の1位に新規ランクインしたようです。

(図1)Elfen Lied – Lilium (アニメのOP版もYouTubeに上がって1000万回近く再生されているのですが、違法アップロードのような気もするので、町田ちまさんのカバー版を上げておきます)

エルフェンリートのテーマ

漫画・アニメのストーリーはかなり過激なものです3。漫画連載4のときから読んでいたのですが、「エルフェンリート」は、人類を滅ぼす可能性を持つ新人類「ディクロニウス(二觭人)5と呼ばれる少女ルーシーが主人公のSFサスペンスです。

作品内で「ディクロニウス」は人類を淘汰する可能性を持つ存在として、国家による隔離と管理の対象になっています。その起源や象徴性は宗教や進化論、排除されるマイノリティのメタファーとも解釈されています。実際の世の中では排除されるマイノリティは多くの場合脆弱な武力しか持ちませんが、この作品では絶大な武力を持ちます。そしてそれが、さらに私達を考え込ませるきっかけにもなっています。

物語の中で、主人公ルーシーは偶然知り合った青年コウタや周囲の人々と共同生活を送りつつ、人類とディクロニウスの悲惨な運命や過酷な過去と向き合います。暴力と愛、差別や赦しといった重いテーマを描く、血みどろの純愛・サイコサスペンスで、911テロ以後の世界で、差別とは何かということを突きつけてくる問題作でもあります。かなりのスプラッターです。それを浄化するように流れるのが主題歌のLilium(白百合)なのです。

Liliumの歌詞(ラテン語、日本語仮訳、出典)

この曲を理解するためにはまず、その歌詞とその出自を知らなければならないでしょう。(表1)はこの歌詞(ラテン語、日本語、出典)です。翻訳の部分は出典になるべく忠実にしました。(Moka☆さん自身による意訳はこちらにあります。)

Latin翻訳出典
Os iusti meditabitur sapientiam,
Et lingua eius loquetur indicium.
正しき者の唇は知恵を語り
その舌は 公義を語る
「詩篇」37-30より
Beatus vir qui suffert tentationem, Quoniqm cumprobatus fuerit accipiet coronam vitae. 試錬を耐忍ぶ人は、さいわいである。それを忍とおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受うけるであろう「ヤコブの手紙」1-12より
Kyrie, ignis divine, eleison
主よ 聖なる炎よ、憐れみ給え
作詞家が既存の宗教用語や聖書、聖歌テキスト(「Kyrie eleison」「Beatus vir」「Ave mundi spes Maria」等)からインスピレーションを受けて独自に構成した一節
O quam sancta, quam serena,
Quam benigma , quam amoena O castitatis lilium
ああ、なんと聖く、なんと静謐で、
なんと慈しみ深く、なんと美しいか、
ああ、貞潔の白百合よ
中世のラテン語聖母賛歌「Ave mundi spes Maria6よりの引用(文末に対訳を載せておきます)
(表1)小西・近藤「Lilium」ラテン語歌詞と日本語粗訳および出典

ここで、「正しき者」とは、神の教えに従い、誠実に生きる人(義人)を指します7。そして、「唇」「舌」はその人の言葉や行いを象徴します。

次の節の「試錬を耐忍ぶ人は、さいわいである。それを忍とおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受うけるであろう」は、信仰者が困難を我慢して乗り越えるだけにとどまらず、信仰ゆえの希望と愛を持ち続けて、最後まで忍耐し続けることにより人は成長し、人間的・信仰的成熟をもたらし、永遠の命=神の国に入る祝福を得られるということですね。

その次の節の「主よ 聖なる炎よ、憐れみ給え」は「神の清らかさ・力(炎)」に浄めを願う、より深い宗教的象徴と切なる願いを含んだ呼びかけです。

そして最終節の「何と慈悲深き哉 何と情愛厚き哉 おお、清廉なる白百合よ」ですが、白百合に象徴される聖母マリアという存在が人々に安らぎと憧れ、慰めと理想(模範)をもたらすという救済のフレーズになっています。この曲名「Lilium (白百合)」ここに出てきます。ここで出てくるフレーズ「castitatis lilium」はAve mundi spes Maria からの引用で、それ自体がまたマタイ6:28「また衣服のことを思ひ煩ふな。野の百合の如何にして長ずるかを考へよ、彼等は勞せず、紡がざるなり。」からの引用になっています。ここでの白百合は罪のない魂、神に飾られた純潔〜キリスト教では一般に聖母マリア)の象徴です。ストーリーと、アニメのクライマックス部分でのこの曲の使い方と重ね合わせると、重みが出てきます。なお、Ave mundi spes Mariaの対訳と宗教的位置づけなどを文末に付録としてつけておきましたので、よろしければそちらも御覧ください。

楽譜

アニメOP版のオフィシャルな楽譜は出ていないような気がします。(サウンドトラックも出てないんですよね…。)逆に作曲家により混声合唱用に編曲したものとピアノ独奏用の楽譜が出ています。わたしも買いました。その模範演奏が図2です。作曲家の意図をよく表しているのではないかと思います。ちなみに、2025年6月にウクライナのiTune Store でJ-POPランキング1位になったのはこのバージョンだと思います。

(図2)Lilium 混声合唱ピアノ伴奏版

他の合唱の動画を見ると、ウクライナの首都Kyivの合唱団が歌っているのが多いので、ウクライナとパレスチナの現況を見て、今年のご挨拶はこの曲にしようかと思っています8。このブログは、そのための下準備でもあります。

そうそう、ちなみに、ウクライナ紛争が始まった時、わたしはアメリカでこれに関する緊急ワークショップをやってるんですよね。

それに、OpenID Foundation の副理事長(わたしは理事長)はウクライナ人です。そういうことからも、やる意義を感じているわけです。


(付録A1)Ave mundi spes Maria (めでたし、世の希望、マリアよ)対訳とその位置づけ

A.1 Ave Mudi Specs Maria 対訳

まず、表3にAve mundi spes Maria の対訳をのせます。

Latin対訳
Ave mundi spes Maria
Ave mitis, ave pia,
Ave plena gratia.
Ave virgo singularis,
Quae per rubum designaris
Non passum incendia.
Ave rosa speciosa,
Ave Jesse virgula:
Cujus fructus nostri luctus
Relaxavit vincula.
Ave cujus viscera
Contra mortis foedera
Ediderunt Filium.
Ave carens simili,
Mundo diu flébili
Reparasti gaudium.
Ave virginum lucerna,
Per quam fulsit lux superna
His quos umbra tenuit.
Ave Virgo de qua nasci,
Et de cujus lacte pasci
Rex caelorum voluit.
Ave gemma caeli luminarium.
Ave Sancti Spiritus sacrarium.
O quam mirabilis,
Et quam laudabilis,
Haec est virginitas!
In qua per Spiritum
Facta Paraclitum
Fulsit foecunditas.
O quam sancta, quam serena,
Quam benigna, quam amoena
Esse Virgo creditur!
Per quam servitus finitur,
Porta caeli aperitur,
Et libertas redditur.
O castitatis lilium,
Tuum precare Filium,
Qui salus est humilium:
Ne nos pro nostro vitio,
In flebili judicio
Subjiciat supplicio.
Sed nos tua sancta prece
Mundans a peccati faece
Collocet in lucis domo.
Amen dicat omnis homo.
めでたし、世の希望、マリアよ
めでたし、優しき御方、めでたし慈悲深き御方
めでたし、恵みに満ちた御方よ。
めでたし、唯一無二の乙女よ、
燃えずに示された柴をもって
予型された御方よ。
めでたし、麗しき薔薇よ、
めでたし、エッサイ9の若枝よ。
その実は我らの悲しみの
束縛を解き放たれた。
その御胎は
死の契約に抗して
御子をお生みになった。めでたし。
めでたし、並ぶものなき御方よ、
長く嘆きのうちにあった世に
喜びを取り戻された。
めでたし、乙女たちの灯火よ、
その御方を通して天上の光が輝き、
陰に閉ざされた者たちを照らした。
めでたし、その御方から生まれ、
その御乳によって養われることを
天の王は望まれた。
めでたし、天の光の宝石よ。
めでたし、聖霊の聖なる聖所よ。
ああ、いかに不思議で
いかに讃えられるべきことか、
この処女の姿は!
聖霊によって
慰め主を宿し、
豊かな実りを輝かせた。
ああ、なんと聖く、なんと静謐で、
なんと慈しみ深く、なんと美しいか、

その乙女は信じられる!
その御方を通して奴隷状態は終わり、
天の門は開かれ、
自由が返された。
貞潔の白百合よ
御子に祈り給え、
その御子は卑しき者の救いなれば、
我らが過ちゆえに、
嘆きの裁きにおいて
刑罰に服さしめ給わぬように。
むしろその聖なる祈りをもって
罪の汚れを洗い清め、
光の家に我らを置き給え。
すべての人は「アーメン」と言わん。
(表3)Ave mundi spes Maria 対訳

A.2 神学的背景

(1) マリア論の中心主題

この詩は、カトリック神学におけるマリアの特別な役割を全面的に賛美しています。特に強調されるのは次の三点です。

  • 救いの歴史における媒介者
    • 「世の希望(spes mundi)」という呼びかけは、キリストによる救いを世界にもたらす入口としてのマリアを象徴。
    • 「ポルタ・カエリ(天の門)」という表現で、神の恩寵が人類に届く道としての役割を示唆。
  • 旧約の予型の成就
    • 「燃えずに燃える柴(rubum designaris non passum incendia)」は出エジプト記3章のモーセの燃える柴の奇跡を指し、処女でありながら神の子を宿す神秘を象徴。
    • 「エッサイの若枝(Jesse virgula)」はイザヤ書11:1からの引用で、メシアの系譜を強調。
  • 処女性と母性の両立
    • 「いかに聖く、いかに澄みわたり…」の連続句は、無原罪・永遠の処女というカトリックの教理を強く意識。
    • 同時に、神の母(Theotokos)としての尊称が繰り返され、マリアを単なる模範的信仰者ではなく救済史の中心人物として描く。

(2) キリスト論との関係

  • マリアは常にキリストへの道として賛美されます。この詩でも「御子(Filium)」「天の王(Rex caelorum)」など、最終的な目的はキリストへの礼拝であることが明確。
  • 神学的には、マリアの称賛はキリストへの賛美に直結し、マリアを通して神へ至るというマリアによる媒介(Marian Mediation)の思想が基盤にあります。

A.3 聖書的典故の例

詩の表現聖書の参照象徴的意味
燃えずに燃える柴出エジプト記 3:2処女でありながら御子を宿す純潔の象徴
エッサイの若枝イザヤ書 11:1メシアの系譜(ダビデ王家)のしるし
天の門創世記 28:17, 黙示録 21:12マリアを通して天と地が結ばれる
薔薇雅歌 2:1神の愛とマリアの美徳の象徴
百合(castitatis lilium)マタイ6:28(野の百合)10貞潔・純潔(罪のない魂、神に飾られた純潔)の象徴
(表4)詩の表現と聖書の参照

A.4 典礼での位置づけ

(1) 用いられる場面

  • 聖母マリアの祝日
    • 特に「聖母の被昇天(8月15日)」や「無原罪の御宿り(12月8日)」などの大祝日で、聖務日課(聖務日祷)の第二晩課(Vespers)の賛歌として用いられることがある。
  • マリアへの特別な奉献式
    • ロザリオの祈りの後、マリア賛歌(Marian Antiphon)の一つとして歌われる場合がある。
  • 修道会の伝統
    • シトー会やベネディクト会など、マリア崇敬の強い修道会で歌われる傾向がある。

(2) 音楽的伝承

  • 中世からルネサンス期にかけて、グレゴリオ聖歌風またはポリフォニーで作曲された例が多い。
  • 特に、ルネサンス期の作曲家(ジョスカン・デ・プレ、パレストリーナなど)が多声化しており、典礼用ミサやモテットのテキストとして採用されることもあった。図3はパレストリーナによる版です。
(図3)パレストリーナ: Ave mundi specs

A.5 神学的メッセージのまとめ

この詩は、

  1. 旧約の象徴(予型)と新約の成就を結びつけ、
  2. マリアを通してキリストの救いに導く神学的構造を持ち、
  3. 教会共同体の祈りの中で個人的信心と公的典礼の両方を支えるテキスト
    になっています。

つまり、これは単なる詩ではなく、聖書神学・教義・典礼が融合した賛歌です。

脚注

  1. 今では、「ポリティカル・コレクトネス」のために、このようなアニメはもう作れないのではないかと思う。
  2. 【考察】『エルフェンリート』オープニング映像の絵画から考察する【グスタフ・クリムト絵画との比較】という考察サイトがあります
  3. 漫画とアニメーでストーリーが異なります
  4. 2002年27号より2005年39号までヤンジャンに週刊連載
  5. 「側頭部から対になった2本の角」と「ベクター」と呼ばれる目に見えない腕を持つ特殊能力者の女性を指します。
  6. Ave mundi spes Maria
    Ave mitis, ave pia,
    Ave plena gratia.
    Ave virgo singularis,
    Quae per rubum designaris
    Non passum incendia.
    Ave rosa speciosa,
    Ave Jesse virgula:
    Cujus fructus nostri luctus
    Relaxavit vincula.
    Ave cujus viscera
    Contra mortis foedera
    Ediderunt Filium.
    Ave carens simili,
    Mundo diu flébili
    Reparasti gaudium.
    Ave virginum lucerna,
    Per quam fulsit lux superna
    His quos umbra tenuit.
    Ave Virgo de qua nasci,
    Et de cujus lacte pasci
    Rex caelorum voluit.
    Ave gemma caeli luminarium.
    Ave Sancti Spiritus sacrarium.
    O quam mirabilis,
    Et quam laudabilis,
    Haec est virginitas!
    In qua per Spiritum
    Facta Paraclitum
    Fulsit foecunditas.
    O quam sancta, quam serena,
    Quam benigna, quam amoena
    Esse Virgo creditur!
    Per quam servitus finitur,
    Porta caeli aperitur,
    Et libertas redditur.
    O castitatis lilium,
    Tuum precare Filium,
    Qui salus est humilium:
    Ne nos pro nostro vitio,
    In flebili judicio
    Subjiciat supplicio.
    Sed nos tua sancta prece
    Mundans a peccati faece
    Collocet in lucis domo.
    Amen dicat omnis homo.
  7. ここで、その「神」が何を指すのかが問題になりますね。DNAの声は神の声なのか?
  8. 約束はできませんが。混声四部合唱を以下にフルート用にReductするかなどは大きな問題かなと…。
  9. 旧約聖書に登場するダビデ王の父
  10. また衣服のことを思ひ煩ふな。野の百合の如何にして長ずるかを考へよ、彼等は勞せず、紡がざるなり。

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