プライバシーって何?

洋の東西を問わず、プライバシーという単語はあやふやな理解の上で議論されることが多い単語です。

そこで、ここではちょっと時間をとって、プライバシーとは何かということを考えてみたいと思います。

1. プライバシーの語源

Online Etymology Dictionary によると、privacy は15世紀に出現した単語で、private + -cy からなっています。「-cy」は語幹を名詞化する語尾ですね。つまり、プライバシーとは「private」の名詞形。

「Private」 は14世紀後半に出てきた単語で、ラテン語の「privatus」(他から分離して、自身に帰属させた。公共の「publicus」、共同体の「communis」と対比される。)という語から来ています。つまり、自分のみで決定できるという意味で、したがって「プライバシー」とは、自分自身や自分の所有物など「自己決定可能なもの」となります。なので、プライバシー権を「自己決定権」と考えるのは、語源から見てもあながち外れていないことになります。

2. 法律関係文献に見るプライバシーの権利[1]

一方、法律関係者の間ではよくプライバシーの権利を「放って置かれる権利」と言われます。これは、ウォレン&ブランダイスの「プライバシーの権利」[2]という有名な論文でCooley判事の著書「権利侵害の法律」[3]から引用されて有名になっているのだと思いますが、この「放って置かれる権利」という和訳はちょっと誤解を招く訳だと思います。Cooley判事の定義を引いてみましょう。

 Personal immunity. The right to one’s person may be said to be a right of complete immunity: to be let alone. The corresponding duty is, not to inflict an injury, and not, within such proximity as might render it successful, to attempt the infliction of an injury. In this particular the duty goes beyond what is required in most cases; for usually an unexecuted purpose or an unsuccessful attempt is not noticed. But the attempt to commit a battery involves many elements of injury not always present in breaches of duty; it involves usually an insult, a putting in fear, a sudden call upon the energies for prompt and effectual resistance. There is very likely a shock to the nerves, and the peace and quiet of the individual is disturbed for a period of greater or less duration. There is consequently abundant reason in support of the rule of law which makes the assault a legal wrong, even though no battery takes place. Indeed, in this case the law goes still further and makes the attempted blow a criminal offense also. [4]

つまり、「放って置かれる権利 (right to be let alone)」とは、「個人の不可侵[5] (Complete Personal immunity)の権利」の解説として書かれているのです。一方、それに対応する「義務(duty)」は、他者の権利侵害やその恐れを持つ行為(不法行為)をしないということになります。その後の解説を読めば、「個人」が肉体のみならず精神も含んでいることがわかります。換言すれば、「Right to be let alone」とは、「個人の肉体及び精神の自由の不可侵の権利」であり、日本語の「放って置かれる権利」から一般人が受ける印象とはかけ離れていることがわかります。

ウォーレン&ブランダイスでも同様で、プライバシーの権利を自身に対する自己決定の自由という極めて根源的な権利として捉えていて、言論や表現の自由はプライバシーの権利から派生するとしています[6]。これは、オバマ大統領が2012年に発表した「プライバシー権利章典」[7]でも踏襲していますね。プライバシーの権利は「自由」の権利と言ってもあながちはずれてはいないと感じます。

なお、ウォーレン&ブランダイスでは、その後、財産権や著作権との差、名誉毀損との差、プライバシーの権利の侵害に故意や過失が必要でない理由や、どのような場合に制限されるかなどが論じられています[8]。短い論文なので、ぜひ読んで見ることをおすすめします。オンラインでは、MITのサイトで読むことができます。

3. 結論

というわけで、語源からたどっても、法律的な文献からたどっても同じj結果でしたね。すなわち、プライバシーの権利とは、自身の身体・財産・思想の保有・利用・発表・処分に関する自己決定権、もっと簡単に述べるなら、自己に対する自己の主権、すなわち人間の自由の権利だったわけです。ただし、このうちの多くの部分は別の法律で対処できますし、その限りにおいてはそれら個別の法律で対処すべきでしょう。それらの部分を取り除いていった残りの部分が狭義のプライバシーの権利と言われているように思われます。この「残りの部分」という位置づけが、狭義のプライバシーをわかりにくくしている原因の一つではないかと思っています。図にすると、こんな感じ。なお、図には入れていませんが、欧州だと「欧州人権条約」第8条に寄って、「個人的および家庭的な生活を尊重される権利 (Right to respect for private and family life)」というのが追加されますね(←日本では、これをプライバシーと言う事があるようですが、上記の通り、これはプライバシーの権利に含まれる一部の権利であると思います)。

プライバシーと他の権利の関係

この「狭義のプライバシー権」に残っている権利の大きな物の一つが、いわゆる「自己情報コントロール権」ということで、プライバシーの権利として自己情報コントロール権ないしは自己像の形成の権利が語られることが多いのだと思います。また、こういった具合だから、「(プライバシーを守るのは当たり前だから)あえてプライバシーを保護するための法律を制定する必要はない」とする人も出るわけですね。日本でも、プライバシーを明文で取り扱ってはいませんが、最判平成15年9月12日の早稲田大学江沢民事件の判示に「自己の欲しない他人にはみだりに公開されたくないと考えることは自然なことであり、そのことへの期待は保護されるべきもの」とされているなど、実質的には保護されているのだから良いとも考えられます。しかし、一方では、できるだけわかりやすく具体的行動指針にもなるように、明文でカバーしてあげたほうが、侵害事例が減るだろうとも思います。特に、多くの事例では、裁判で勝ったところで、人間関係などの状態はもとに戻らないわけでいわば「後の祭り」なわけですから、きちんと皆が認識しやすい形で制定するのは意味があると思います。

一方、よく対にして語られる個人情報の保護ですが、これは、プライバシーの権利を守るための手段の一つに過ぎません。本質ではないということです。守るべきはプライバシーであって、個人情報では無いわけですね。そこのところ、外してはいけないところだと思います。

 

[1] 法律の素人の私が法律関係文献に言及するのはいかがなものかとも思われるのですが、触れないわけにもいかないので…

[2] Warren and Brandeis, “The Right to Privacy”, Harvard Law Review, Vol. IV December 15, 1890 No. 5 (日本語表記を最初はワレンとしていたが、ウォーレンと書くのが日本では一般的なようだ。発音的には、ワレンとウォレンの中間だと思うんですけどね。)

[3] Thomas McIntyre Cooley, “Law of Torts”, Callaghan, 1888

[4] http://www.law.louisville.edu/library/collections/brandeis/node/227 より転記。下線は筆者による。

[5] immunity = 不可侵、不干渉の特権など、日本語になりにくい。Diplomatic Immunity が外交特権なので、Complete Personal Immunity は完全なる個人的特権=自由、か。

[6] 「These considerations lead to the conclusion that the protection afforded to thoughts, sentiments, and emotions, expressed through the medium of writing or of the arts, so far as it consists in preventing publication, is merely an instance of the enforcement of the more general right of the individual to be let alone. 」

[7] 消費者プライバシー権利章典 (http://1.usa.gov/privrights )

[8] ちなみに、この自由の制限=譲歩の量が等しいことを平等というというのは、レ・ミゼラブルのアンジョーラの演説にもありますね。自由・社会・平等・友愛。こちらの記事を参照

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