香爐峯の雪

霞立つ
夜明けの森の
遺愛寺の
時を告げたる
静寂(しじま)の鐘や

霞立つ
夜明けの森に
木霊する
遺愛寺の鐘
静かなるかな

「香爐峯の雪は簾を撥げて看る」というのは、枕草子に出てくる一節。中宮定子が「香炉峰の雪、いかならん」と尋ねたのに対して、清少納言が簾を上げる有名な場面。

雪のいと高う降りたるを 例ならず御格子まゐりて 炭櫃に火おこして 物語などして集りさぶらふに (宮)「少納言よ 香炉峰の雪いかならむ」とおほせらるれば 御格子上げさせて御簾を高く上げたれば 笑はせたまふ。人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり」と言ふ。
(『枕草子』第二百八十段) 

当時の貴族の間では常識だった白居易の詩に掛けた行動をさっとしたために、うけたという段だが、この「常識」だった詩がこれ。

香爐峯下新卜山居草堂初成偶題東壁

    白居易 
日高睡足猶慵起,
小閣重衾不怕寒。
遺愛寺鐘欹枕聽,
香爐峯雪撥簾看。
匡廬便是逃名地,
司馬仍爲送老官。
心泰身寧是歸處,
故何獨在長安。
香炉峰のふもとに草庵を結び 初めて東壁に題す
白居易

朝日高くて まどろみ深く
目覚めることも なほ億劫に
小さき楼(たかどの) ふとんを重ね
ぬくもりありて 寒さも知らず
遺愛の寺の 鐘の音
枕を傾け 耳にやはらぐ
香炉の峰に 雪しんしんと
すだれを上げて ひとり眺むる
名を逃るには この廬山こそ
世を離るるに ふさわしき地ぞ
なほ司馬(しば)の 官を帯びつつ
老いを迎えて ここに留まる
こころ安らぎ からだも静か
帰るべき地は ここにぞありや
思へばむかし 長安に住み
なにをおもいて とらはれしやら

何か最近疲れたなと思ったり、生きている意味を柄にもなく考えたりしてしまうこともあるのだが、こういう詩を読むと、こんなふうに、近くの寺の鐘に布団をかぶったままで耳を傾け、峰に積もる雪をカーテンを開けて望むというような、心泰く身健やかな、平穏無事な生活も良いなと思ってしまう。と言ったって、そもそもそういう生活を選択する勇気もないわけですが。白居易だって左遷されて地方に飛ばされたからそういう心境に至れたので、きっと長安で競っていたら、こういう詩は書けなかったでしょうね:-)

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