「全てのMV制作者を敵に回しそうなMV」とクリエーションの本質について

「全てのMV制作者を敵に回しそうなMV」という記事1が回ってきた。そこで紹介されていたのが、「岡崎体育」氏のMusic Video「Music Video」。

見始めて、思わずニンマリしてしまった。いやー、本当にあるある、そういうMV。この人、着眼点が良いですねぇ。MVの様式性というか、「クリエーション」のある意味本質をえぐってる。

このMVの内容は見ていただくのが一番わかりやすいので、見ていただくことにして、ここでは、このビデオがある意味やゆしている「クリエーション」について考えてみたい。

「クリエーション」という行為は、多くの人の考える「オリジナリティ」とは違って、巨人の肩に乗るというか、先人の作った「定石」を積み上げて、さらにそこに一歩足すことだ。逆に言えば、「定石」をしっかり学ばないと、「クリエーション」なんてできない。感性だけなんかではムリ。

「定石」を知らないで作ろうとすると、「定石」の羅列の陳腐な作品になるか、「定石」で負けがわかっているので使われない手を並べたチープな作品になりがち。

逆に、時代を切り拓く天才は、「定石」を知り尽くした上で、それを使わない新たな「手」を使って来る。だから、「衝撃」を与え、世の中から非難されることが多い。その為、天才は生前、一部の「わかっている人々」にしか評価されないということが往々にある。そうした天才の作品が一般に評価されるようになるのは、その「わかっている人々」が、新しく作られた「手」をあの手この手で使っていき、それが定石となってからなのだ。

最近は、いろんな「クリエーション」がパクリだのなんだのとネットで叩かれることが多い。だが、どの分野であれ、作品というものはある意味「パクリ」の集まりなのだ。だから作品を見るときには、どこが足されているのか、その価値はどうなのかということを見るべきなのだと思うんですが、どうですかね。

ちなみに、冒頭のビデオに戻ると、この作品は既存の「定石」ばかりを積み重ねて作られた作品だ。そこに足されているのは、歌詞による、それらの「定石」の解説と、そうして定石を繋いでいくだけで、「ふつうのMV」になってしまうことを示して見せたことだろう。それは、MV製作者に対しては易きに流れないようにとの、観る側には、単に消費するだけではなく、もうちょっと深い視点で観ることを習慣づけた方が良いのではないかという証明をつきつける。

岡崎体育、注目である。

脚注

  1. http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/music/pb1d005885b8bb23180fa4c265b7e8e31

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