漂える島 の sugar さん曰く
断言する。あの鑑賞の時間がまだあるとしたら、
学校教育はせっせとクラシック嫌いを製造していることになる。
すてきな音楽から私を切り離したにっくき音楽の授業よ!
— 音楽に触れる
私も小学校の音楽鑑賞には辟易したタイプです。音楽鑑賞だけでなく、文学でもどうしてあぁ導入としてむかなそうなものばかり選ぶのだろうと思ってしまいます。
たとえば、斉藤茂吉なんかでも、
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
いい歌なんですが、子供には難しいですよね。
私が茂吉を好きになったのは、父(秋村功)に次の歌を紹介されてです。
戦いは上海におこりたりけり鳳仙花赤く散りたりけり
(誤字等あるかもしれませんが…音だけで覚えているので)
を教えられてからです。これで衝撃を受け、短歌自体が好きになりました。これなら、中学生でもわかりますよね。
こんなのも良いかも。そういえば、昨日の折々のうたに取り上げられていました。
マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つる程の祖国はありや (寺山修二『空には本』(昭33)所収)
お気に入りの一首です。
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Natさんのブログで昨日の記事を取り上げていただいた。
冷静になって読んでみると
こんなところでちまちま文句垂れていても仕方がないなぁ、と。
学校教育にやはりどこか期待しているから
こういうことになってしまうのか。
考えてみれば授業で教わったこと出会?..