尊皇攘夷と文明開化 〜 今専門家に求められるもの

「おまえいらの言ってること、正しいんだけど、難しすぎて普通の人には伝わらない」

ここのところ、電子政府だとか国民IDだとか、そういうからみであちこちで話をさせられるのだが、そうした議論をいつも聞いている @shingoym に言われた。

言われてみればそのとおりだ。この分野を追いかけている人にはほとんど自明のことになっていることが、専門家集団から外には全くと言って広がらない。先週の土曜日に行われた堀部先生一派の「プライバシーコミッショナー制度」などもその仲間で、堀部先生が問題提起してから、なんと30年も経つのに実現しないし、一般からの待望の声も上がらない。欧州や米国ではすでに「あたりまえ」のことになっているのだが、日本はそのあたりまえが起きない。これには、国の政策決定の性質も大きく関係する(官僚が2年で交代してしまうため、組織的記憶が育たないなど。欧米は10年選手が当たり前。)が、われわれ専門家の側にも非があるだろう。

なにしろ「あたりまえ」のことを、「分かりやすく不正確に」話すのは、難しいし、面白くないし、専門家としての良心の呵責に耐えられない。
正確に話そうとすると、あたりまえだが難しく、分かりにくくなってしまう。

翻ってみれば、維新の指導者たちはその点偉かった。

彼らのキャッチフレーズは「尊皇攘夷」だった。

実際に彼らが行ないたかったのは、中世から続く封建制度を突き崩すことであり、尊皇攘夷などとは関係がない。
キャッチフレーズを言ってまわっている本人たちは、武器を外国から輸入したりしてるわけで、攘夷などと言っていたら国が滅ぶことは百も承知だったろう。
しかし、「封建制度の廃止と国の制度の近代化!」などと唱えたところで、その辺の、どこの馬の骨かわからない下級武士やらはたまた町民・農民にも分かるはずもなかった。というか、分かっていたのは、日本で数十人とか、そういうレベルだったのではないか?

その点、「尊皇攘夷」は分かりやすかった。

仲間や民衆を欺くのは心が傷んだだろうが、300年間国を閉ざしていた人々の心情にマッチした。
何しろ、幕府が開国を始めたのを、ちょっと前の状態に戻ろう、ただし、幕府だけは廃して、昔ながらの王様に治めてもらおう、というのだから、幕臣でも無い限り、心理的抵抗もない。
そして、そのキャッチフレーズを用いて、封建主義の元凶たる幕府を倒した。

倒したら、一気にそのキャッチフレーズを「文明開化」に切り替えた。
攘夷のまるで逆だが、民衆は、これまた分かりやすいフレーズに、ころっと騙された。
今回は、良い方向にだが。

実際に、ものごとを動かしてゆこうと思ったら、こういうマキャベリズムが必要なのだろう。
そして、それをやるのが本来政治家とかマスコミとかなのだろうが、それ以前に、まずマスコミ等に理解してもらうために、あえて正確性を犠牲にして、分かりやすさを重視した説明をわれわれ専門家もしてゆかなければならないのであろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください