円安は喜ばしいか?

円高と所得

1995年の始め、円が一気に円高に振れたとき、 経済界は「空洞化」だのなんだのと、それはそれは大変まずいことが 起こったかのように話していました。 その年の後半、今度は円安に振れたとき、経済は、これで救われたかの ごとき報道がなされました。

わたしは、このような考え方に大きな「?」を持ちます。

円が1ドル80円になったころ、私のお給料は $5000 で、 なけなしの100万円の預金は、$12500 でした。 それが、今、私のお給料は$3800 で、預金は$9500 に下がってしまっています。 別に、譴責処分を受けたわけでもなく、衝動買いをしたわけでもありません。 為替が円安に振れたため、世界標準通貨のドルで計ったわたしの 所得や貯蓄が30%も減ってしまっただけです。

お給料が30%も減ることのどこが喜ばしいことでしょうか?

円高では日本は滅びない

およそ、その国の通貨が高くなって滅びた国はありません。 むしろ、通貨が高くなる過程は、その国が世界の中での 比重を増す過程です。第2次大戦前、英国のポンドは 対ドルで暴落し、その過程で輸出は好調を記録し、 経済成長率は高水準を維持しました。一方、米国経済は 大恐慌の苦境に陥りました。しかし、その後の歴史は どちらがヘゲモニーを握ったかを明確に教えてくれます。 大恐慌の国が、高成長の英国を遥かに凌駕したのです。 滅びは、その国の通貨が安くなることにこそあるのです。

ちまたでは、円安・円高と貿易黒字・赤字の関係が取りざたされますが、 これは短期的なものです。長期的には、円高になると日本の貿易黒字が 減るなどという関係はありません。これは、1974年に外国為替が 変動相場制に移行して以来の日本の貿易収支を見ても明らかですし、 理論的にも、為替水準は貿易収支には影響を及ぼしません。 円高になれば貿易黒字が減るというような議論は、 まさに「まちがった直感」に基づく議論なわけです。

では、円高は日本の経済にどのような影響を及ぼすのでしょうか?

まず第一に、円高は日本と貿易関係にある国々の産業構造を 変えます。これは日本も例外ではありません。 したがって、円高によって比較優位を失う産業は、 空洞化します。これは、その産業自体にとっては 由々しき問題ですが、国全体としてみたときには、 比較優位が無い産業が切り捨てられ、比較優位がある産業に 集中するため、 効率があがるので、かえって望ましいことです。 (もちろん、人為的なひずみによって、比較優位の無い産業が 国内に残って、比較優位がある産業が国外に出てしまうのは、 大いに問題です。)

その結果、相手の国は相対的に豊かになるかもしれません。 しかし、日本も今よりは豊かになるのです。 相手の幸福を喜ばないような態度は、島国根性と さげずまれても、仕方が無いでしょう。

投資される国と投資する国

こうした認識のずれは、実は日本がいつのまにか 投資される国から投資する国に変わったことに、 日本人が体で納得していないところから出てきていると 思われます。

日本は戦後長いこと投資される対象でありこそすれ 投資する側にはありませんでした。一般に、成長経済は この型にあたります。このような経済では、生産こそが 善であり、生産量が減ることは大変まずいことなのです。 資産が無いのですから、生産することによる所得で くらさなければならないのですから、当然のことといえます。

しかし、いったん豊かになって資産を持ってしまったら、 この議論は成り立ちません。個人でも、資産からあがってくる所得が 十分にあれば、特に働く必要はありません。これと状況は 似ています。円高のコンテキストでもう少し詳しく言えば、 円安になることによる資産とそこからあがってくる利益のの目減りが、 円安になることによって得られる生産所得の増分を超えている場合には、 円安は忌まわしきことといわざるを得ません。

1ドル1円になったら超ハッピー

と、いうわけで、私は円高は喜ばしこそすれ、 忌まわしいものではないと思います。実際、まぁこんなことは まずありえないでしょうが、1ドル1円になったら、 私のなけなしの100万円は世界では1億円の使いでが出るわけで、 こんなにハッピーな話はありません。きっと私は 遊んで暮らすことでしょう。

あなたはどうですか?

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